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イチゴの広場
小林ねき中1
 日本人が淡泊であるかわりに持続力が欠けていると言われているのは、生活
感覚に左右されることが少ないからではないだろうか。日本人は、論理を超え
る論理をもって、和歌や俳句などという、短くて、それでいて意味深長な文を
作ってきた。こういう物は、言葉の論理に背を向けている。すべてを言わない
で、一部を省略しているのである。
 
 これに対して米人はコッテリしている。論理をとことん追求する。例えばな
にか嫌なこと、都合の悪いことを頼まれた時、日本人だったら、「それはちょ
っと……」などと言うだろうが、米人だったら、「No!」とはっきり言うだろ
う。これを見ると、日本人のほうがコッテリしているように見えるが、自分の
意見を何とかとうそう、と言う意味で、コッテリしていると言える。
 
 日本人が淡泊であるかわりに持続力が欠けているという点の私の実例を挙げ
て見る。以前私は、新聞係を勤めていた。この新聞係りになった理由は、かか
り決めの時に欠席して、あまり物でそうなったからである。欠席した次の日自
分の係を聞いた。自分で他にやりたい係りがあったのだが、決まったものはし
ょうがないと思い、それを承知した。まさに「淡泊」である。(゚-゚)しかし、
その新聞も、まさに言葉の通り「三日坊主」になってしまった。全く持続力が
欠けている。(>_<)
 
 また、私が作文を書く時、データ実例や名言など、少し探してないと、とば
したりしてしまう。面倒くさがりで、少し事が長引くとすぐいらいらして嫌に
なってしまう。持続性が無い。
 
 また、毎日新聞社調べによると、一ヶ月に読んだ本の数が、小学生が5.6冊
、中学生が1.9冊、高校生が1.3冊と、とても少ない。本のように持続力が必要
なことが、歳を重ねる毎に面度臭くなっていくのだろう。私も、一ヶ月に本を
読む量は1冊前後である。しかし、歳を重ねるにつれて面倒くさがりになって
いくとのべたが、高齢者は本をよく読む。全員とは言わないが、ほとんどが、
たくさんの本を読んでいる。時間があるからだろうか。それとも知識を身につ
けるためだろうか。多分心にゆとりがあるからだろう。若い頃は、階級が上が
るにつれて、時間にゆとりが持てなくなり、少し面倒臭いと、すぐに投げ出し
ていたが、時間と共に、心にもゆとりが持てるようになると、結構面倒なこと
でもやろうとするからではないだろうか。そういう意味で日本人は持続性が欠
けているというのは、昔から、大名なら政、農民なら、多額な税のための作物
作りで、時間に追われていたからではないだろうか。
 
 「悪いことそのものがあるのではない。ときと場合によって悪いことがある
のである」という名言がある。あきらめることは、時には肝心なことだが、時
にはいけないことである。日本の文化がいい悪いではなく、それなりの持ち味
があるのである。そして、場合によってはこの文化を捨てなければいけない時
もあるのである。