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「高齢化社会には」を読んで
アジサイの広場
山口晃弘あう大1
 高齢化社会は日本が成し遂げた大成果である。人口の高齢化の原因となって
いる平均寿命の延びや、出生率の低下は、経済成長の結果であり、高齢化社会
で問題になるのは、調整問題である。高齢化が進み、人口が安定すれば、世代
間の対立も、「いついい思いをするか」というだけの問題になるだろうし、調
整において、損を被る世代も、高い賃金が得られるのは、今までの世代の貢献
のためである点で、高齢者を非難はできない。
 
 現在の日本においては、平均寿命の延び、出生率の低下により、先進国のな
かで、最も速い速度で高齢化が進んでいる。したがって、物価上昇や国民の生
活水準の向上に応じて支給額を改善する一方で、人口構造が一定であることが
前提になっているである日本の公的年金を短期間で調整する必要がある。
 
 まず高齢化社会への調整において考えられる問題のひとつとして高齢者の雇
用をどうするかということと、核家族化による家族の介護能力の弱体化が挙げ
られる。かつては、大家族の中で母が子供の育児に手が回らない場合、祖母、
または祖父が代わりに孫の面倒をみたり、また家族の高齢者の世話をすること
においても、大家族の場合、少なくとも人的な面で、いまの核家族よりは有利
であったはずである。そのような意味では、以前の大家族においては介護サー
ビスが機能していたと言える。しかし核家族においてそのような機能はない。
 
 これらの問題の原因として、我々の父親にあたる世代の特徴が挙げられる。
確かに職人に定年はないし、高齢化社会に対応するためには、先に述べた大家
族がモデルになるであろうが、両者とも、何らかの技術を持っていることが前
提になる。ちょうど今定年を迎える世代は、高度経済成長期の中で、家族のこ
とも省みることなく労働のみに集中することを強いられた人々であり、企業の
ロボットとして生きてきた世代とも言える。役目を終えたロボットはもはやポ
ンコツである。企業に仕えることしか知らない彼らは家族の介護能力になった
り、また定年後、何らかの職を得るのも難しいであろう。日本の高齢化社会の
悲劇はここにあるのではないか。
 
 確かに、このようなことを指摘するのは自分の親に対する冒涜かもしれない
。しかし欧米とは異なる文化を持つ日本は、当然欧米とは異なる調整の仕方を
求められる。そのモデルとなるのは、大家族が存在していた社会であろう。そ
のためにも、我々の父親にあたる世代をどう扱うか、これからの世代がまたは
高齢者となった場合に社会で職を得やすいように技術をどのように教育するか
が大きなテーマとなるだろう。