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ひとこと
★かさじぞうパズル★
ウグイスの広場
がっちゃんてな中2
「ふしぎ」と言えば、「私」という人間がこの世に存在しているということほど「ふしぎ」なことは
ないのではなかろうか。その「私」を受けいれ、「私」としての生涯を生き抜くことに全力をつくさ
ねばならない。いったい「私」とは何者であろう。これは「私」という存在でこそ言えることである
。「私」のふしぎを忘れたましいのことを忘れて生きている人に、その「ふしぎ」をわからせる点で
、児童文学は特に優れていると思う。私が児童文学を好きなのは、このためである。自分の人生を生
きるとき、死ぬときにあたって、自分の生涯そのものが世界のなかで他にはない唯一の「物語」であ
ったこと、「私」という存在のふしぎがひとつの物語のなかに収められていることに気づくことであろ
う。
 「偏差値72、年収2億。顔はすっごくカッコイイ!しかも、テニスが超うまい!」女性があこがれる
こんな男性や、あんな男性。これは表面的なカッコ良さである。こういう人間は広い世の中で限られ
た人達という考えを私達は持っていて、しかもそういう人達は生まれつき頭が良く、カッコイイなど
という遺伝子をもっている…と、考えてきた。しかし、それは少しおかしい。なぜなら、偏差値72と
いう頭は努力して勉強すればいいのだし、カッコイイ顔が欲しければ、整形すればいいのである。つ
まり、前に述べた女性があこがれる男性像というのは、限られた人間がなるものではなく、努力すれ
ば誰でもなることが出来るのである。
 しかし、私は人間にはその人間に限られた独自の点があると思う。私は、小学校の時に「かさじそ
う」のお話を読んで感動した。あまりによいお話だったので、おじいさんが地蔵にかさをかぶせている
場面のパズルを買ってもらい、何度も何度もそれをやって楽しんだ。この「かさじぞう」の物語のお
じいさんは、「地蔵にかさをかぶせる」というのが使命である。つまり、このおじいさんはその使命
のために、「かさじぞう」の話の中に出てくるのである。
 私達は、数字的なことや表面的なことを重要だと考えがちであるが、その前に、人間ひとりひとり
にはもっと大切なことがあるはずである。それを見つけられたら、かなり成長した人間になるのでは
ないか。