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ひとこと
               「ふしぎ」
アジサイの広場
小林ねき中1
ふしぎ
 「ふしぎ」と言えば、「私」という人間がこの世に存在しているということほど「ふしぎ」なこと
はないのではなかろうか。「私」のふしぎを忘れ、たましいのことを忘れて生きている人に、その「
ふしぎ」をわからせる点で、児童文学は優れていると思う。児童文学には子どもの澄んだ五感で捉え
た世界が語られている。
 個人の「ふしぎ」を心に収めていく物語をもつ、あるいはつくり出す必要があると思われる。自分
の人生を豊かで、意味あるものとするために、われわれはいろいろな「ふしぎ」についても物語りを
知っておくことが役立つのではなかろうか。
 「ふしぎ」というのを身近なところからみつけようという人は少ない。多くの人は、現実ばなれし
ていることを「ふしぎ」と感じる。現に私も自分が生きていることに対して「ふしぎ」を感じたこと
はない。自分は生きていて当たり前。昨日も今日も明日も生きている。という大前提の元に日々をす
ごしている。しかし、本で読んだ話によると、人間がこの世にはじめて誕生したときの確率は時計の
材料をすべて箱に入れたただふり続けていたら時計ができた、という確率であるという。さらにその
命を百年前後も保つには、一億円の宝くじに一億回当たるぐらいのかくりつで、さらにさらに世界の
五十億人の中の一人なのである。これはもう、奇跡をいくらならべても決して言いすぎではないほど
である。そんな中で、気づいたら、人生で重要といわれるたいていのことがきまっている。これを「
ふしぎ」と言わずしてなにを「ふしぎ」と言うのか。
 しかし、それを「不思議」と思っているだけでは何も起こらない。「ふしぎ」を「ふしぎ」のままにして
いても仕様がないのである。童話「ジャックとまめの木」では、ジャックが雲の上へ行き、そして「ふ
しぎ」を解き明かした。この様に、「ふしぎ」を解き明かすのは難しい。しかも、先ほど述べた「ふ
しぎ」にはこれと言った答えがない。だから、困難なのである。しかし、不可能では無い。不可能で
無いなら、出来るだけの努力をする。それだけで、人生は豊かになるのではなかろうか。
 「明日の朝が仕事を完成させて持ってきてくれるわけではない」という言葉の通りである。例えどん
なに大変なことでも、やらなければそのまま時間が経っていくだけである。「?」だって、のばせば「
!」になるのだから。