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ひとこと
現在、子供の
アジサイの広場
T.Oいう高2
 現在における「子供」に関する問題は、ますます深刻化している。一昔前ではほとんどありえなか
った、未成年の刃物やその他の凶器による犯罪も後を絶たない。そういった問題を専門家が理論的に
分析した結果についてはよく報道されているが、「子供」と言われているうちでも特に心情が不安定
な青少年に関する問題は、人間同士の接触不足による心の不満がもとでおこるのだから知識で分解で
きるようなものではない。むしろ、余計な知識を持たない素人の方が子供をひとりの人間として見る
ことができるのではないだろうか。
 学校や予備校で授業をうけていても、「合格請負人」といったニックネームがつきそうで授業中も公
式ばかり使ってくる教師よりも、新任でまだあやふやなところは目立っても懸命に自分で考え出した方
法で講義する教師の授業の方が、生徒の立場から見ると強く印象に残っているといえる。論理的説明
が主流になっている世の中だが、やはり人の心を動かすのは論理ではなく人の心なのである。
 「白雪姫」では眠りに落とされてしまって、小人たちがどんな手を尽しても目を覚まさなかった姫
が、王子の口づけで目を覚ました。童話だから科学的根拠はまったくないが、人の心が人を動かした
ということを端的に表している例であるといえる。
 私達には、生きてゆくためにある程度の知識は必要である。しかし、専門家が持っているようなレ
ベルのものまでは要求する必要もないし、実際に要求されることもないのだ。「過ぎたるは及ばざる
がごとし」というように、なまじ多くを知り過ぎているとその物事について頭の中で何かしらのレッ
テルを貼ってしまい、ありのままの姿を見ることができなくなってしまう。ことさら子供というのは
人間であり、人間は多種多様なのだから一口にぐれた子供と言っても親の気を引くためにわざとぐれ
たという子や、なんとなくやってみたかったという子もおり、同じ不良でもそれぞれに理由があるの
だ。それを「不良イコール根から悪い人間」というような変なレッテルを貼ってしまうから、子供達も
反発したくなるのである。近年カウンセリングが注目を浴びつつあるが、その関係者だけでなく私達
それぞれが、知識だけにとらわれない素直な視点を持つようにするべきなのである。