ひとこと
マルチメディア
アジサイの広場
吉見こと大1
 
 通学の途中の電車の中で、よくコンピューターや携帯電話の広告を見かける
。電車の中に限らず一歩、家の外に出れば、たちまちこれらの広告に出くわす
事になる。つまりは家を一歩でも見たら私たちはコンピューター、携帯電話会
社の良きお客さんなのである。近年では携帯電話が急激に普及し女子高生の必
須アイテムにまでなりコンピューターも企業だけではなく家庭内でも普及しつ
つある。このようなたくさんの電子機器に溢れた社会を私たちはマルチメディ
ア社会と呼んでいる、が私はそうとは思わない。私は単にコンピューターや携
帯電話会社などの、いわゆるメディア産業が敷いたレールの上に走らされてい
るとしか思えない。本当のマルチメディア社会とは何なのか。
 
 電子メールや携帯電話の急激な普及に比例して一方では手紙が見直されてい
る。直筆の文字が相手を温かくさせるのだ。ワープロで書かれた年賀状よりも
、直筆で書いてある年賀状の方が嬉しいのと同じである。電子メールや携帯電
話の普及により情報伝達は大変便利なものとなった。しかし、それは自分の意
志を相手に伝えるという人間味ある行為を減退させることとなった。手紙のよ
うな暖かさを相手にすぐに伝えることができるのが理想のマルチメディアでは
ないか。
 
 インターネットや電子メールを通して世界中の人たちと交流がもてる。実際
、多くの日本の学校と外国の学校がメールを通して提携を結んでいる。私も、
様々な人たちとメールでやりとりしているが、色々な経験ができるのは確かで
ある。しかし私は交流はもてても深めることは難しい、と思う。人間は互いに
接することで、相手を判断し理解する生き物だからだ。機械を通して相手を、
より判断し理解できるのが理想のマルチメディアである。
 
 今日の社会は大変便利である。しかし便利なものほど様々な弊害を生むこと
となる。理想のマルチメディアは、まさに絵に書いた餅であるが不可能ではな
い。私たちは人間である限り人間味を出すことは可能である。マルチメディア
社会は電子機器が中心の社会ではない。あくまで私たち人間が中心の社会であ
る。メディア産業が敷いたレールを走るのではなく私たちがレールを敷いてメ
ディア産業を導かねばならない。