ひとこと
無題
アジサイの広場
幸裕あつ高2
 
 就業人口の半分以上が従事する産業に時代を代表させ、社会の発展段階を狩
猟社会、農業社会、工業社会、情報社会と分類すると、現在は情報社会の盛期
に位置するという解釈がある。次期社会の重要な産業になると期待されている
ものに映像産業がある。この制作も多数の人間による労働集約的な生産である
が、ここで要求されるのは人間が感動したりする内容を創造する能力である。
この能力を感性と表現すれば、次期社会での産業は感性集約産業ということが
できる。終焉しつつある情報社会を代替して出現する感性社会では、技術は芸
術も目指し、技術者は芸術家に変身するといえよう。私は次期社会へと変りつ
つあるのに一般的な人の意識が社会に追いついていないことが問題だと思う。
 
 それは第一に学校教育が次期社会へと適応した教育を行っていないことが原
因であると思う。情報社会が盛期を迎えているといわれる今日、子供たちには
次期社会とされる芸術社会に適応した教育が必要とされているはずである。し
かし、現在行われている教育と言うのは知識の詰め込みが主体となったもので
ある。私も学校では音楽や美術といった感性を育てる授業よりも、数学や化学
のような知識を詰め込むような授業の方が多い。
 
 私はこれからの教育には幼い頃の感性を失わないような教育が必要であると
思う。今私達が受けている教育には疑問などの感情的なものは必要なく、機械
的な学習だけで充分評価される。しかし、これからの芸術産業にはより人間的
な感性が評価されると思う。レオナルド ダ
ビンチは現在の科学でも飛びそうにないヘリコプターを設計していたが、その
発想の豊かさがあったからこそ数々の名画を残せたのだろう。
 
 全国の学習塾の数が36000もあり小学生の17%、中学生の45%の4
50万人が塾に通っていることから知識詰め込み型を主流と考えている人の多
さが分かる。
 
 確かに知識を詰め込むような教育もよいが、私は一般的な人の意識が社会に
追いついていないことが問題だと思う。
 
 芸術とは技術を磨くものでなく、感性を磨くものである。