ひとこと |
感性社会 |
アジサイ | の | 丘 | の広場 |
寛則 | / | えう | 高3 |
社会の発展段階は狩猟社会、農業社会、工業社会、情報社会と分類でき、現 |
代は情報社会の盛期に位置すると解釈できるだろう。そして私達は、次期には |
芸術面などのような個々の感性が求められる、いわゆる「感性社会」が訪れる |
ことを期待しているにもかかわらず、現実は、労働集約的な農業社会や設備集 |
約的な工業社会、そして知識集約的な情報社会を、特に教育の面で未だ引きず |
っている。 |
それは、これらのことが最適な手段として、世の中で通用してしまうことが |
大きな原因の一つではないかと思う。近年では、勉学の中に、受験などのよう |
な時間との戦いが生まれてきているため、どうしても「要領」の方に重点を置 |
きがちである。学習塾に通ったりして、学生は何とかしてこの流れに着いて行 |
こうとする。また、週休2日制度も最近では定着してきたが、結局は他の日に |
土曜の分の授業が回されたり、宿題が増えるなどして、学生の心のゆとりがた |
いして変わっていないといわれている。これでは「感性」を育てるどころか、 |
養う機会を減らしているのではないだろうか。 |
感性を育てるためには、机の上での勉強以外のことをもっと増やすべきでは |
ないかと思う。実験を行ったり、植物を育てたり、外で遊ぶなどして、実際に |
自分の体を使う機会を増やすのである。私の小学校は比較的課外活動が多かっ |
たのだが、そのおかげで、辛いことも含めてさまざまな経験ができた。教科書 |
で何を習ったかはあまり覚えてないけれども、その他の、例えば図工や音楽、 |
家庭科、先生の雑談、課外授業などは明確に覚えている。そんな雰囲気の学校 |
だったので、個性的な生徒も結構多かったし、時間による支配もなかったので |
、感性を育てるにはいい環境のように私は思った。要は、自分で見て、聞いて |
、触って、実際に動かしてみて、自分の考えが生まれることが感性を育てるに |
は必要なことではないかと思うのである。 |
確かに、「感性社会」が世間に認められ、人々の間に当たり前のような存在 |
になるには、今の日本の状況から考えれば相当な時間がかかることを覚悟しな |
くてはならないと思うし、又、日本のこれまでのような発展は難しいかもしれ |
ない。しかし、それは一時的なものだと思う。感性豊かな人間が認められる |
ことによって、国にとっても、そして私達の生活においても、今以上に良くな |
って行くと思う。 |