ひとこと
身体
アジサイの広場
T.Oいう高1
 
 我々人間の身体は、絶えず何か新しいものを求めている。理想の社会とはと
聞かれて大概の人は聖書に出てきそうな天国の地や、人間が野原で寝転んで何
もしないでいるような図を想像するであろう。確かに最初は皆こういった状態
を平和とか安定だというが、いつまでも続くと次第にそれが当たり前のように
思いはじめて惰性的になり、ついには飽きてしまう。そして進歩を求めて次々
とその平和で安定した状態を改造しだす。理想の社会のためには安定だけでは
なく、そこに幾分かの活気が必要である。
 
 それは、安定だけでは人間の不満を満たすことができないからである。確か
に先程のように、我々はいつも安定した状態に身を置きたいと願うものである
。だが、安定ばかりが続けば、スポーツなどで基礎練習ばかりさせられてあき
るのと同じようにただの反復にしか思えなくなり、新しいことに挑戦したくな
る。それが活力の素である。この活力と安定がかみ合うようになれば、人間の
もともと持ち合わせている惰性的な生き方を転換することができるかもしれな
い。
 
 それには、理屈や表面の知識だけで固めた人間ではなく、知識の他にも自分
を鍛えようとする向上心も持った人間を目指すことが大切である。明治時代、
福沢諭吉がただ役に立つからという理由ではなく自分自身の教養を深め、それ
を弟子達に伝え広めようと語学を学んだように、勉学に限らずいろいろな方法
で自分自身をいつも修練することは忘れてはならないと思う。
 
 現代社会は、特にここ数年間混乱と無知に満ちている。そういう現状なのだ
から人々が理想の社会の中に天国の絵図のようなものを求め、すがりたくなる
のも無理はないと思う。しかし、「大切なのは健康らしい外見ではなく、健康
自身である」という言葉にあるように、今の理想の社会は、どちらかと言うと
外面的なところに要求が集中している。人間は心情を持った生き物だから、い
くらものがあっても心が満たされなければ本当の心の安定は得られない。「ユ
ートピア」という言葉の本当の意味は、「楽園」ではなく「心の安定した状態
」であると思う。「心の安定」といっても、のんびり何もしないでいることで
はなく、落ち着いた中にも絶えず進歩を目指した積極的な考えを含んだ生きる
意欲に満ちた心を持つことが大切なのである。