ひとこと
マルチメディア
アジサイの広場
通子わひ高3
 
 長野オリンピックの開幕である。テレビCMによれば、パソコン通信で選手
にエールが送れるらしい。最近の日本では、マルチメディアの発達が著しい。
CD-ROMなどを使えば誰でも手軽に絵、文字、音声を兼ね備えた動きのある
情報を手に入れることができるし、インターネットを介して個人で情報を送る
こともできる。このようなマルチメディアというものは、従来の活字だけ、又
は音声だけのメディアと比べると格段にわかりやすく、吸収しやすいという利
点もあるが、その反面、情報に流されやすくなってしまうという不利な面も備
えているのである。
 
 その原因は、莫大な量の情報が簡単に入手できるというところにあるのだろ
う。情報量があまりにも多すぎるために、自分に必要のない情報や見聞きしな
くてもよいものまで入ってきてしまうのだ。中には無責任で質の悪い情報も混
じっているのに、自然と目や耳に入ってきてしまうというのもよくあることで
ある。実際、ワイドショー番組の芸能界のゴシップなどは勝手に耳に入ってく
るし、私もそれを聞いて一喜一憂してしまうものである。
 
 では、情報に流されないようにするにはどうしたらよいだろうか。その根本
的な対処は、主体性を持つということに尽きると思う。つまり、膨大な情報の
中から、自分に本当に必要な情報だけを取捨選択するようにするのだ。そうす
れば、マルチメディアを媒体とする莫大な量の情報を、効率良く利用できるの
ではないだろうか。シャーロック・ホームズのような「名探偵」と呼ばれる人
は、容疑者や被害者、殺人現場から必要な情報だけを選択して事件解決の鍵と
していくものである。
 
 たしかに、マルチメディアによる情報量は多く、かつわかりやすいという利
点を持っていて、これからはそれによって個人が経済、政治界で活躍していく
ことも可能な時代となっていくだろう。しかし、マルチメディアが個人に使用
されることによって、無責任なゴシップや中傷などが世界に流れてしまうこと
も充分ありうることである。そのような、「騒音」ともいえる不必要な情報を
見極め、切り捨てていかなければ、これからの社会のなかで私たちは情報に疲
れさせられてしまうかもしれない。私たちはこの情報化社会の中で、主体性を
持ち、自分に必要な情報を見極めることのできる「目」を養う必要があるので
はないか。オリンピック選手を元気づけるエールが、「騒音」でかき消されて
しまわないように。