ひとこと
「産業技術」を読んで
アジサイの広場
通子わひ高3
 
 社会の発展段階を、狩猟社会、農業社会、工業社会、情報社会と分類し、そ
の過程を考慮すると、現在最盛期だと思われているこの情報社会に、次の感性
社会への変革の兆候が存在していると想定することができる。そしてこの感性
社会で要求されるのは、農業社会での労力でも情報社会での知識でもなく、人
間が感動したり感激したりする内容を創造する能力、「感性」なのである。
 
 現在の日本の社会は、感性や個性が要求される「感性社会」に移りつつある
。しかし肝心の社会のしくみは、工業社会や情報社会など、過ぎ去った時代の
ニーズに合わせた形で成り立っている。例えば大学入試でも、一芸や「ユーモ
ア推薦」など自分の個性をアピールできる方法もあるものの、やはり知識の量
が問われる試験が主流である。私たちは、次期「感性社会」にあわせて、もっ
と感性や個性に重点をおくべきなのである。
 
 では、なぜ日本では、これからの社会を基準とした社会の体制を整えていく
ことができていないのだろうか。その理由として、政治や企業のトップにイン
テリジェントな人が多いということがあるのではないか。やみくもに知識を詰
め込み、一流大学を出た頭の固い知識人にとっては、労働や知識は重要な要素
であっても、感性や個性のようなものは重んじるどころか、そこまで考えを広
げることができないのではないだろうか。
 
 このような状況を改善していくためには、まず政治や企業に個性を持ち感性
を理解し得る人物を多く起用していくことだ。そうして、学校教育の方針など
も、豊かな個性と感性を持つ子供を育てるという方向に変えていったらどうだ
ろうか。ウォルト・ディズニーは、子供のころから学校にも行かずに絵を描い
たりアニメーション作りに熱中していたそうだが、彼の感性やアニメに対する
こだわりがあったからこそ、ディズニーワールドを築き上げることができたの
だと思う。
 
 確かに、「感性社会」においても労働や知識は必要で、それらがなくてはや
っていけないのも事実だ。個性、感性を追い求める人ばかりがいても社会は成
り立たないだろう。しかし、時代が「感性社会」へ移りつつあるのは事実であ
り、それは私たちが個性や感性を基盤とした社会を求めているということにな
りはしないだろうか。そして時代が移動している限り、私たちは常にそのニー
ズに見合った体制を整えていく必要があるのだ。私たちは現在、移りつつある
社会の中にいる。これからはもっと、個性や感性に重点をおいた社会のしくみ
を作っていくべきなのである。