ひとこと |
無題 |
イチゴ | の | 峰 | の広場 |
太陽 | / | いあ | 高2 |
人間の体はいかなる時でもすべての部分がいつもはたらいているわけではな |
い。絶えず変化する動的な統合の複雑さはどのような人工的システムもかなわ |
ない。身は解剖学的構造を持った生理的身体であると同時に、文化や歴史をそ |
のうちに沈澱する。それで、身体は文化を内蔵する。経験は体に染み込み、繰 |
り返しは潜在的に身のうちに出してイメージ練習は動きを内蔵する早道である |
。ところが人はどんな立派な計画やユートピアに対しても飽きる存在である。 |
そうならないためにも、私は安定と活力が共存していけるようにするべきだと |
思う。その原因は二つある。 |
それは、破壊と再生の繰り返しであったからである。歴史の本など見ている |
と時代ごとに戦争が必ず起こりそれは今でも起こっている。そのために自分の |
理想を求めて新しい社会を作り、そしてまた破壊の歴史をたどることになって |
いる。私はのんびりと暮らしていきたいと思っていたがのんびりとしてばかり |
いるとそれが苦痛にもなってきてしまいすべてを壊したくなって来てしまう。 |
苦労している人の方がたまに休みを取るとずっとこのままでいたいと思ってし |
まう。しかし、そこで休んでばかりいると人間を駄目にしてしまう。私はアダ |
ムとイブがエデンで禁断の果実を食べたときからの大きな問題だと思う。 |
そのためには、他人としてではなく自分のこととして考えるべきである。お |
じいちゃんのために何かをしてあげようとしたらおじいちゃんのためではなく |
自分が同じ立場になって考えていくべきだと思う。織田信長は楽一楽座と言う |
のを作ったとき、自分が商人であったら商売がしやすいであろうと言う考えも |
あったと思う。その結果商人には評判がよかった。商人に対して受けがよけれ |
ば国全体が活気ついて国を豊かにすることができると思う。何かをするときに |
はその人と同じ視線に立って考えるべきだと思う。 |
確かに安定と活力が共存していけるようになれば破壊と再生の繰り返しが回 |
避され誰もが平和に暮らせると思う。「多すぎる休息は少なすぎる休息と同じ |
ぐらい疲れる」と言う言葉のように誰もが意味を分かれば |
共存することができると思う。 |