ひとこと |
タイム |
アジサイ | の | 空 | の広場 |
吉見 | / | こと | 大1 |
<時間>をモチーフにした<モモ>という映画がある。これは、明るくて純 |
情な少女モモが、みんなの生活の中にある、ゆとりや、やすらぎの時間を盗ん |
でしまう時間泥棒を退治する物語だ。今日の社会では時間的な心のゆとりや、 |
やすらぎをみんなが求めている。映画のモモに出てくるような時間泥棒が私た |
ちの社会に、いるはずはないが、私たち日本人は産業の発展、進歩のために効 |
率化を余儀なくされ、ゆとりや、やすらぎなどの産業の効率化の妨げになるよ |
うなものは排除することによって幸か不幸か世界一の経済大国となった。私た |
ちは今一度、時間の使い方について考えるべきではないか。よく人が、一日が |
、あっという間に過ぎてしまう、というが、それは充実した時間を過ごしてい |
るのではない。時間に流されているだけである。 |
私が友人と話していて、たまたま<余裕>と<ゆとり>の違いの話になった |
。その友人は<余裕>は自然と生まれるものだが、<ゆとり>は自分で作るも |
のだ、といっていた。私はなるほど、と思った。今日の社会では誰もが<ゆと |
り>がない、といっているが<ゆとり>がないならば自分で作るしかないのだ |
。<ゆとり>をうまく作るのが時間をうまく使うコツではないか。 |
以前テレビで素人のビデオ作品を紹介していた。その中の一つに、一年間同 |
じ場所の同じ風景を同じ時間で撮影したものがあった。画面の中心には大きい |
木が立っている。時間が経つにつれて画面の中の季節が変り、大きい木の姿も |
変化してくる。こらが普通の自然の姿である。私たちは普段このようなことに |
気付かぬまま生活をしている。普段、歩いている同じ道でも、じっくり観察す |
れば様々なものが見えてくる。私は、このようなことが時間のよい使い方だと |
思う。 |
今日という日は明日の二日分である、という文句がある。だから一日を無駄 |
に過ごさないで、めいいっぱい有効に使わねばならないことも確かだ。だが私 |
は今日という日を明日の二日分の価値があると考えてしまうから、かえって人 |
は時間を有効に使えないのだと思う。一日は一日分でよい。<ゆとり>や<よ |
い時間の使い方>ができれば、その一日は何年分もの価値があると私は思う。 |
モモのように皆が明るく毎日を過ごせれば自然と経済にも活気が出てくるはず |
である。 |