ひとこと
時間
アジサイの広場
乱月あし高2
 
 私たちの社会では科学技術は矢のように発達し、「無駄」な時間を極力省け
るようになった。新幹線もどんどんと速くなっていき、「のぞみ」が登場した時
点で、江戸時代なら2週間かかった距離を2時間30分で行けるようになった。飛
行機を使えばなお早く行ける。近い未来にはリニアモーターカーも常識となる
のだろう。そう考えてみると、私達の時間というものへの概念はより支配でき
るものへと変化してきた。しかし私達はその大きな力と引き換えに、同じよう
に大きな経験というものを失いつつあるのだ。
 
 私は歩くのが好きだ。時間が許せば、電車は使わずに歩いている。電車で行
けばものの4,5分で着いてしまう距離には、小さな本屋だとか、散歩をする
小さな子供だとか、いろいろな発見がある。そういった都会の喧騒から離れた
所に、私達が失った経験があるのだろう。それは将来ごみごみした都会での生
活を余儀なくされるだろう私達にとても大切なのだろう。確かに歩くのが退屈
になってしまうことがほとんどだが。
 
 はっきり言うと手に入れた利便を失わずに人間にとって必要となる経験を手
に入れることはほぼ無理だといっても過言ではない。その相容れぬ2つのこと
を両立させるにはどうすれば良いだろうか。私は休日の重要性を主張する。都
会の生活から離れてそういった貴重な経験を手にする為にはメリハリをつけた
生活をして、遊ぶ時には遊び、がんばる時にはがんばる、そんな生活を送れば
良いのではないだろうか。その手助けの為にリニアモーターカーを使うのも、
それはそれで良いではないか。1992年4月から施行された学校5日制も、
その為には良いことだと思う。ただ、どうしても子供が都会の喧騒から逃れる
為には両親の休日も必要となってくる。働きすぎというレッテルを貼られてい
る日本は、もう少し休むべきだろう。
 
 確かに私達はその急速な科学、もう少しいえば移動手段の発達にどんどん慣
れていかなければならないのかもしれない。今後の世の中には必ず必要とされ
てくるものだろうし、確かに便利なものでもある。しかし私達の失ったものを
そのまま置き去りにすると、私達の人間性はどんどん失われていくだろう。光
陰矢のごとしというが、矢が飛んでいくその先には何があるのだろうか。私は
矢を使うよりもゆっくりと歩いていきたい。
 
 「無駄」と冒頭に述べたが、本当に無駄なのは何も考えずにただ今日の技術に
流されていくことなのだろう。