ひとこと |
共存社会 |
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寛則 | / | えう | 高3 |
ダーウィンの「進化論」、この思想により世の中がここまで発展してきたと |
もいえるだろう。「優勝劣敗」というスローガンをもとに、その社会の最適者 |
が生き延びるのが理想であり無駄を省くのが良い、という考え方が18世紀前 |
後から広がった。しかし、最近になってこの考え方が批判されがちになり、今 |
後はすべての生き物が共存して行くべきだという考え方が生まれてきている。 |
ところで、なぜこの「優勝劣敗」の考え方が社会で通用するようになったの |
だろうか。その原因の一つとして、世の中の自由競争化が考えられると思う。 |
特に第二次世界大戦後において、アメリカ合衆国を中心に自由競争が活発化し |
た。それまで労働者の安心役を果たしていた枠を外したことにより、力の弱い |
企業・労働者は社会から外されるようになり、強者だけが残ることを望まれる |
ようになったのである。そしておかしなことに、このシステムが人間関係にも |
「差別」という形で及ぶようになったのである。 |
今後、「生き物共存」を進めていくためには、まずこれまでの「優勝劣敗」 |
の考え方から変えていくべきだろう。そもそも人間には、ほかの人の価値を判 |
断する資格などないと思う。どんな人にも必ず取り得があると思うし、価値の |
ない人間などいないのである。これはほかの生き物にも当てはまるだろう。た |
とえば、海中からプランクトンが一斉に消えるとする。こんなに目にも見えな |
いような小さな物は私たち人間には何の役にも立たない。しかし、このプラン |
クトンを餌にしている小魚たちは困ってしまう。そのうちこの小魚たちは絶滅 |
してしまうだろう。すると今度はこの小魚をメインディッシュにしていた魚が |
滅びて行く…、という風になっていってしまう。これは地上の生き物にもいえ |
ることだが、いわゆる食物連鎖が崩壊することになる。これは少し極端な例に |
なったが、その物の価値を決めるのはあくまでもその人の基準で見ているので |
あって、100人いたら100通りの見方があるのである。また、世の中は「 |
だるま落し」のようなものですべての部位がそろって始めて成り立つものだと |
思う。 |
ただ、確かにダーウィンの「進化論」が現代のような世の中に発展させてき |
たのは事実である。今後、社会のグローバル化が進む中でこの考え方は必要に |
なってくるかもしれない。しかし、それはあくまでも経済的な観点から見た考 |
え方であって、生き物の立場から見たものではない。優劣をつけずに共存して |
いくことが本来のあるべきことではないだろうか |