ひとこと |
身体 |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
酔月 | / | あも | 高2 |
人間のからだというものは、現実的な統合を持ち合わせるだけでなく、潜在 |
的統合可能性をも秘めている。また、からだには可能的な統合も含まれており |
、このような、統合の内蔵仮定は連続でなく、不連続なのである。 |
私は、安定と前進を交互に繰り返すような矛盾を批判するようになっている |
ことが問題であると思う。そして、むしろ共存していくべきであると思う。 |
安定の状態だけがよいと考えがちとなってしまう原因として、オイルショッ |
クを始めとする混乱の中で強行されてきたといっても過言ではないような社会 |
の発展がある。こうした社会の発展の中で人は、人間同様社会にも急激な環境 |
変化を与えるべき出はないという結論に達したからだ。 |
似たようなことに自由というものの存在がある。中世から近代における自由 |
というものは、身分制度に代表される封建社会からの開放を意味し、心理学者 |
フロムの言う、「~への」という目標のある自由であった。ところが、現代人 |
にとっての自由というものは、開放され尽くして何をしたらわからず、むしろ |
自分自身を拘束さることに喜びを求めるものとなってしまった。この先、また |
時が経つと拘束からの自由からの開放を求めるようになるのであろう。しかし |
、これが自然なのであり、「歴史が繰り返される」原因ともっているのである |
。 |
確かに安定期が続くことは、人の精神をも安定させるということがある。だ |
から、永久的な安定は老朽化を招いてしまうので、ポンコツ化した機械同様、 |
刺激を与えることでうまく動きはじめるのである。 |
進歩は同時に退歩であるという言葉があるが、進歩をし続けるということは |
同時に退歩し続けるということのもなりかねないのである。そこに、安定した |
ものを持ってくることが社会に真の安らぎを与えるのである。 |