ひとこと
ダーウイニズム
アジサイの広場
正之おき高3
 
 世界の歴史はより良い方向に進んでいるという「進歩」の思想がヨーロッパ
世界を強く支配し始めた。それは、下等動物から高等動物へという価値尺度を
歴史が昇りつめてきたという「生物の進化」という思想を下から支え、したが
って、「社会進化論」と密接に連なっているのである。人間の特異性は、単な
る相対的なものでしかないというような考え方をダーウィニズムの中で受け取
った西欧社会は、ダーウィニズムの中で受け取った西欧社会は、ダーウィニズ
ムを人類の問題として論議するにいたった。そして、際適者生存の最適者とい
う概念を、極めて恣意的に解釈して、それを社会思想などの面に応用しようと
する態度が「種の起源」以後急速に広がったのである。
 
 適者生存が実状のこの世の中で、我々人間は、今よりも弱者に対して配慮を
していくべきではないか。
 
 優勝劣敗というような思想が出てくるのは、まだ世の中で「平等」という概
念が完全に確立されていないからだと思う。例えば、私は以前、部活に入って
いたのであるが、その部では先輩後輩の関係が決して弱いとは言えなかった。
朝の挨拶では年下から必ず言う感じであったし、掃除などは、たいてい後輩が
やるものであるときめられていた。こういうことが、世間一般では常識であり
、礼儀であっても、人と人との間に差異があるようなものになってはならない
と思う。
 
 そのためには、まず社会面において資本主義のような競争主義を弱めていく
必要があると思う。例えば、資本主義社会である我が日本では、仕事で働き、
実績を出したぶんだけ賃金を出すというような社会である。しかし、それがだ
めだからといって、誰でも賃金が一定であるという社会主義も十分に満足にで
きるとは言えない。もしできれば、その中間を取るような社会が良いと思う。
 
 確かに何事においても、優劣はついてしまうものかもしれない。しかし、悪
いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである
。人間は劣っている面もあるが、必ずぐれている面もあるものである。だから
、人類で優れた民族劣った民族というものなどないと思う。