ひとこと
無題
アジサイの広場
さやかあおべ中3
 
 世の中には思慮分別を伴った言論を展開できる人がいるが、それは専門家で
はなく、常識や一般的教養が身についている人である。常識は知識に次ぐ確か
さをもっていて、言論の基盤となる。教養というのは、一個の素人としての自
由人にふさわしいものとして学ばれるものである。
 
 確かに専門的に何かを学ぶことはとても良いことだと思う。今日私達がテレ
ビをみたり、パソコンでインターネットをしたりできるのも、科学者が専門知
識を深めて開発していったおかげである。ライト兄弟が飛行機を作れたのも専
門的な知識をたくさん学び、深めていったからである。私達人類はなにか専門
的に研究をする人がいないと進化していかないと思う。その点で、専門的に何
かを学ぶことは良いことであると思う。
 
 しかし、一般的な常識や広い教養もとても大切であると思う。私達はまずな
にかを専門的に学ぶことよりも、教養を身につける必要がある。私達に一般常
識や教養が無くなってしまったらどうなるだろうか?専門的にあることだけを
学び、そのほかのことを何も身につけなかったら、私達人間の世界は恐ろしい
ことになってしまうと思う。人間には心がある。科学や技術が発達しても人間
に心のゆとり、教養がなくなってしまってはいけないと思う。
 
 専門的に学ぶこと、一般的な常識や広い教養をみにつけること、どちらも今
の私達にとってなくてはならないものである。しかし、「辞書のような人間に
なることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的であ
る。」という言葉があるように専門的な知識があり、なおかつ一般的な常識や
広い教養を身につけることが私達の夢であると思う。そして私もそんな人にな
りたいと思う。