ひとこと(4月4週)
無題
アジサイの広場
拓馬ねき中1
 
 小さい子供は、大人の世界の「常識」を不思議と思い、「なぜ?」と聞いて、
怒られたりする。そのときおとなが、自然科学によってすぐに答えられるけれ
ど、一緒になって「不思議だな。」とやっていると、自分の生活が前より豊かに
なったり、楽しくなったりする。そのとき、もし正しい知識を供給したとして
も、その子は納得しなかっただろう。なんせ、そこまで知識が到達していない
からである。その子が納得する答えは、その子自身が考えることだ。そして、
その答えは物語りになっている。その物語は、自分と世界の関係を知ることの
できるものなのである。
 
 その理由は二つある。一つは、自分で考え、自分で行動して得た知識の方が
、印象が強く残っているからである。たとえ時間がかかったとしても、自分で
やったことにより、充実感があるものである。私も理科を塾でやったとき、確
かに理解はできたが、充実感がなかった。しかし、学校で実験したときの方が
、充実感があったし、塾では分からなかったところが分かったりした。
 
 もう一つは、前にも少しいったが、他のところから得た知識は忘れやすく、
印象も弱い。覚えるだけなら、簡単にできる。しかし、急がば回れ、時間をか
けずに覚えてもすぐに忘れてしまい、結局は、じっくり覚えた人より覚えられ
ないものである。
 
 私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある。ゲーテがいった名言
だ。なにごとも時間をかけたほうがうまくいくものである。
 
 確かに正確な知識をてにいれることは大切なことだが、自分が納得できる答
えを自分でみつけたほうが、自分と世界の関係が確かになり、自分の人生が充
実するのである。