ひとこと(4月4週)
無題
イチゴの広場
幸裕あつ高3
 
 日本の学校教育は教科書に書かれていることをそのまま実行するような人間
を作り出そうとしている。学校の授業でも教科書どうりに授業を進めて、教科
書の疑問がそのまま自分の疑問となる。そのため生徒は教科書から与えられる
疑問を受け取るだけで、自発的に疑問を持たなくなる。私はこのままでは将来
、自分の意思を持たずに周りに身を委ねるような人々が増えてくるのではない
かと思う。
 
 ではどうすればよいのだろうか。私は第一に学校では皆同じ授業を受けさせ
るのではなく、基礎的な学力がついた時点で授業を自由に選択させるようにし
たらよいと思う。自分で授業を選択するとなると誰もが自分が少しでも興味が
ある授業を選択するであろう。数多い授業を皆同じように受けさせるのではな
く、自分の興味のある分野を集中して学ぶことによって学ぶ意欲も増し、自分
で積極的に疑問を探すようになるであろう。これだけの人口がいるのだから総
合的な学力を持つ人間より、各専門分野に精通する人間を数多く育てたほうが
日本は発展すると思う。
 
 次に学校教育に疑問を持てるような余裕を与えることである。今、学校の授
業は試験までに試験範囲を終わらすことに必死である。だから、先生達は生徒
一人一人の疑問に答えていられないのではないのではないか。たとえ授業とは
まったく関係のない質問が生徒からあったとしても、少しはずれて授業を進め
られるような余裕のある教育が必要であると思う。
 
 確かに教科書のような人間を作り出す教育というのは、同じような考えを持
った人間をつくりだすことになり、そこには協調性が生まれるといった良い面
もあるが、わたしは疑問をもっと多く持つべきであると思う。
 
 迷わんよりは問えという言葉があるように疑問を持ったら誰かに聞いてみる
べきである。言い換えれば疑問を持ったら問えである。