ひとこと(4月4週)
「効力感は」を読んで
アジサイの広場
T.Oいう高2
 
 効力感とは、自分のしたいことだと思える活動や達成を選び、そこでの自己
向上が実感されて、初めて得られる。高等動物は本来、環境に自ら働きかけ、
有能さを伸ばそうとする傾向を持ち、特に無気力に汚染されていない子供はこ
れによく当てはまる。この時に重要なことは、熟達の手本となるものまたは人
がいることだ。子供は生活の中から自然にその手本を見つけ、適切な課題を選
び取る。そこで親がすべきことは、環境を整えることと、賞罰によって子供を
コントロールしすぎないことである。現在の日本は賞罰によって人の行動を促
す傾向が強いが、それはある意味問題であると思う。
 
 こうなった原因として、戦後の高度経済成長によって人々の頭の中に学歴思
考が芽生えたことが挙げられる。士農工商の身分制の時代には身分が定まって
いたため、人々のやる気は無理に促す必要はなかった。しかし、戦後は知識が
あればどんな職にも就けるようになったので、人々は早いうちから多くの知識
を身につけようとし、それが、やる気をおこすのに即効性のある「賞罰による
コントロール」の比重を高くした。「賞罰」には長所も確かにあるが、本当の
やる気を引き出すことはできないという短所もある。
 
 また、賞罰以外に、あれこれと行動を制限しすぎていることも本当のやる気
を見失わせている原因として考えられる。例えば、子供が自転車の練習をした
いと言っても親は渋って、三輪車からにしなさいとか補助輪をつけなさいとか
、とにかく過度に制限したがる。子供は、技能の繰り返しをするうちに自然に
習得しさらにその一段階上の課題に挑戦したがるのに、それに制限を押し付け
てしまっては子供の自主性を失わせ、自分自身の鍛練に対して消極的にさせて
しまう。これでは与えられたことだけしかできないような典型的な現代人が出
来上がってしまう。
 
 賞罰や制限は、小さくても目標を持たせることやある程度の限度を知らせる
といった意味においてはとてもいい方法であると思う。けれども、「蟹は甲羅
に似せて穴を掘る」ということわざにあるように、人は自分の能力に合わせて
自ら課題を作り出す。しかし、現代社会はそういった事には一切かまわずある
一定のレベルの課題をこなすことしか要求していないように思える。これから
の時代を動かすものは、仕事をこなす能力ではなくこれをしようという自発的
な意欲であると思う。