ひとこと(4月4週)
疑問を持つことの大切さ
アジサイの広場
T.Oいう高2
 
 現在の日本人は、教えられたとおりに物事をこなすことはとても上手である
。ただ、それは言い換えれば疑問を持つ姿勢が足りないということだ。例えば
、数学の問題を解くときに公式の丸暗記にばかり気をとられて「こういうわけ
でこういう結果になる」という大事な過程を無視し、「なぜこういう結果にな
るのか?」といった疑問を持たずにいると応用問題が出たときに手も足も出な
くなることがある。現代社会はどんな問題でも答えは参考書に書いてあると言
った考えが強いが、それは大問題である。自分なりの疑問を持ち、それを考え
ることの大切さは忘れるべきではないと思う。
 
 日本は明治時代から大正時代にかけて、西洋文化の受容による急激な発展を
遂げた。その発展により、日本の暮らしは当時もっとも文明の進んでいたヨー
ロッパ地方と変わらないものになった。しかし、同時に日本古来のものの風格
が薄れて、日本独自の物品が目立たなくなった。われわれ日本人は、現在の便
利な暮らしに慣れきってしまい、「日本が誇るもの」について考えることをし
なくなった。便利になればそれだけでいいのかという疑問について一度考えて
みるべきではないだろうか。
 
 また、日本は島国であるせいか狭い範囲でものを見ることに慣れてしまい、
集団に異議を述べる人物より周りに素直に同調する人物のほうを尊重する傾向
が強い。有名な話だが、ニュートンは「なぜリンゴは木から落ちたのか」とい
った誰も考えないような些細な疑問から万有引力の法則を見つけ出した。ほと
んどの人は先ほどの疑問に対してそれは常識だと答えるが、この法則の発見は
、そんな集団に異議を唱えた人の偉大な発見である。疑問を持つこととは、い
わばその物事を見つめ直すことである。
 
 確かに疑問を持つことは大切だが、身の回りに起こるすべての出来事に対し
て疑問を抱いていたらはっきり言ってきりがない。時には大衆の意見に賛同し
、それを世の中の常識として納得することも大事である。しかし、決して何の
根拠も無しに「付和雷同」するべきではないと思う。それでは自分で考えると
いうことを放棄していることになる。自分で考え抜き、その結論を導き出せた
ときに初めて自分自身の成長につながるのだと思う。