ひとこと | (5月2週) |
「私たちが日常」を読んで |
アジサイ | の | 谷 | の広場 |
ローレル | / | あえし | 中2 |
私たちが日常、ことばを使っている時は、普通表される内容がまず合って、 |
それを盛って運ぶ手段としてことばがあると言う風に考えています。今の場合 |
は、ことばが新しい経験を生み出すと言うことが起こっています。私たちの日 |
常生活では、言葉の決まりと言うものが習慣的に決まっています。私たちの言 |
葉についての認識は、普通その実用的な働きのほうに大変かたよっていて、も |
う一つの詩的きな働きのほうは忘れられがちです。 |
私の考えでは、今の時代はだんだんと暗くなっているような気がする。だか |
ら、面白いこともつまんなくなってきてしまう。笑うということができなくな |
ってしまう。だから、詩的なことは大切だと思う。例えば、計算をやっていた |
ら計算漢字をやっていたら漢字と言うようにそのことばかりに集中していると |
思う。実用的きな事ばかりだ。 |
しかし、詩的な事が、オ-バ-になるとふざけになってしまう。やるべき事 |
はきちんとやらなければならない。まずは日常的な事ができてから、詩的な事 |
と言う考え方もある。実用的な事を、知っていれば日常生活に役に立つ。それ |
に対し、詩的な事を知っていても日常生活には役に立たない。そういう点で見 |
ると、日常的な事がよいと思う。 |
詩的な考えがよいか、じつようてきなかんがえがよいかということではない |
。自分が、決める事であり、自分がよいと思う事をやればよいと思う。だから |
、存在するものには、よいとか悪いかをいう前に自分で決めるのだ。私が思う |
に、理想的な人は、一方では楽しくまた、場面が変わるとまじめになる人だ。 |
笑いのない人間は、好かれなく、嫌われないと思う。それは、とても平凡な事 |
だと思う。 |