ひとこと(5月2週)
勉強の意味
アジサイの広場
乱月あし高3
 
 大学受験を目前にしている私にとって、勉強とは苦痛以外の何物でもない。
いやいややっているというのが現状だ。しかし勉強そのものは苦痛とは程遠い
ものなのだ。現在私に強いられている勉強はまったく興味を持たない分野のも
のが多い。ネイティブの外国人がもう誰も使わなくなったような英語や、将来
まったく使わないだろう古典、漢文など、そのほとんどが当てはまるといえる
。一般教養にしても余りにも多くないだろうか。そんな無駄の多い勉強をさせ
られるから、学校嫌いや保健室登校などといった生徒も出てくるのだろう。
 
 早くから自分の専攻したい分野を決めるべきだ。日本の文化に興味を示した
のならば、古典、漢文、日本史などを専門的にやれば良いだろうし、科学に興
味を示したのならば、コンピュータを扱って早くから慣れていくほうが良いだ
ろう。確かに一般教養も必要だが、大筋が同じ教育で統一させておくよりは高
校生になったあたりから専攻する学問を細分化するべきだろう。エジソンは早
くも幼少時代に学校の勉強に興味をなくし彼の母親が教える自分の興味のある
ことをじっと聞いていたという。時代の流れ如何ではなく、偉人はそのように
育ったのだ。
 
 生きた勉強は大きな重要性を秘めている。先述のように学校で習う英語はも
はや化石とかしていて、現地では100パーセント通じないだろう。果たして
そんな勉強が重要だといえるだろうか。いくらクオリティの高い授業をした所
で、教えている内容が薄いようではどうしようもない。先日某英会話学校がつ
ぶれたが、そこの社長は社会人の生徒の英語学習に対する意欲を裏切って逃げ
てしまった。社会人になって英会話を習うということは、いかに学生時代の英
語学習に無駄があったかということを如実に物語っている。
 
 確かに一般的なものさしで人を計るには、皆同じ学習をさせてその出来具合
を見るのが一番良い。しかし実際にはいかに個性を殺して我慢したかを計って
いるだけでしかないのだ。石の上にも三年というが、私はただ座っているより
も、自分の好きなことをのびのびとやることのほうが重要だと思う。そういう
勉強が今必要とされている。
 
 1ヶ月でいいから外国にいって英語をしゃべってきたいものだ。