ひとこと | (6月2週) |
「人間以外の動物」を読んで |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
T.O | / | いう | 高2 |
人間以外の動物は、自然の中でも本能の赴くままに生きられるが、人間は言 |
語によって混沌とした自然に秩序を与えなければ適応できない。動物の鳴き声 |
の認識の違いにもよく表れており、例えば犬がいるとしてその鳴き声を日本人 |
なら「ワンワン」として印象づけ、アメリカ人なら「バウワウ」として認識す |
る。言語によって万物を自分の意識の中に印象づけるのはどの人種も一緒だが |
、それが原因で文化的な摩擦がおこることも事実である。これは問題であると |
思う。 |
これには、人類が言語という記号体系を通じてしか現実を構成できないこと |
が原因していると思う。先ほどにもあったが、動物の鳴き声ひとつをとっても |
言語という記号体系が異なれば、当然認識の仕方も違ってくる。言葉には創造 |
者を呪縛する作用もあり、日本人が一度鳴き声を「ワンワン」として認識する |
と、「バウワウ」などとは全く聞こえないという固定観念にとらわれてしまい |
、それ以外には聞こえないようになってしまう。だから文化的な衝突は絶えな |
いのではないか。 |
また、自分達の認識にないものを排斥したがることも原因にあると思う。万 |
物は、言語による分類にあてはまるものとそうでないものとに分かれる。その |
分類にあてはまらないものは、いわば境界線付近でうごめくどっちつかずのも |
のであるので、文化の秩序を維持するために必然的に排除する必要があるので |
ある。しかし、必要性があるからといって認識にないものをすべて捨ててしま |
っては、自分達の考え方からいつまでたっても抜け出せないことになる。それ |
では問題の解決にはならない。 |
たしかに、すべてのものを受けいれてしまうと、今度は無秩序で統一性に欠 |
けた文化よくするために切るなどの工夫をすることはできる。つまり、異文化 |
であっても認められる部分というものはどこかにあるはずであり、その部分を |
積極的に取り入れて自分達の文化を向上させることが大切なのである。 |