ひとこと(6月2週)
「ああすれば」を読んで
ウグイスの広場
がっちゃんてな中2
 
 「ああすれば、こうなる」型の社会では、さらに違った側面が現れる。その
一つは、時間の変質である。頭の中では、時間は過去、現在、未来に三分割さ
れる。ところが、時間直線を描けばわかるように、「現在」とはその時間直線
の上の一点に過ぎない。しかもその「現在」という時は、実質的な時間幅を持
つことが当然の前提だからである。それなら未来とはなにか。本来の未来とは
、なにが起こるかわからない、「ああすれば、こうなる」で拘束されていない
時間である。「漠然たる」未来は、現代社会ではただちに拘束され、急速に失
われていく。政治家が国家百年を思わなくなった。医師はもっぱら患者の検査
に没頭する。それはすべてが現在化したからである。百年を思うよりも、ただ
いま現在の状況を徹底的に把握し、それに対して有効な手を打たなければなら
ない。「ああすれば、こうなる」という状況を批判すると若者たちは、「じゃ
あどうしたらいいんですか」と、質問する。その答えがあるということは、つ
まり、「ああすれば、こうなる」が成立するということである。若者たちが、
それを常識にしていることが、こうした質問からよくわかるのである。
 
 たしかに、良い高校に入るのも、良い大学に入るのも、それなりに大事だ。
良い高校に入らなければ、良い大学にもはいれないし、良い大学に入らなけれ
ば、良い就職先も見つからない。柏陽高校に入らないと、東大に入る確率も落
ちるし、東大に入らないと政治家になる確率が落ちる。
 
 しかし、それは目先の未来であって、本当の未来はもっとどうなるかわから
ない、大きなものだと思う。良い大学、就職先に行くのもなかなか大事だが、
それ以上に、自分が満足することを、将来やれることも大事だと思う。例えば
、画家になりたい人がそれ以外の能力を求めて東大に入って政治家になっても
、それはその人が求めていた「未来」ではなく、「ああすれば、こうなる」上
での未来だ。
 
 私は、筆者の「ああすれば、こうなる」はおかしい、という意見に賛成だが
、良い就職先に就くのも、なかなか大事だと思った。自分の専門的知識だけを
身に付けても、自分の夢には届かないこともあるからだ。未来は、ひとりでに
できる未来と、自分で作る未来とがある。やはり、どちらも大事だと思った。