ひとこと(6月3週)
現実と実感の違い
アジサイの広場
加奈子せて高2
 
 時々、神経が苛立って眠れない時があるがこれは、神経の疲労が、肉体の疲
労とのバランスをくずしてしまい、独自に進行してしまった結果である。この
ような場合には、神経の疲労に合わせるために、ちょっとした軽い運動をして
、肉体の疲労を神経の疲労と同程度になるくらいにすれば良い。この手応えの
無い世界への不安が私たちの内にあり、その焦燥感が、勢い手応えのあるもの
に向かってやみくもに発散させようとするのである。
 
 今、私たちは、あまり行動せずにただ座っているだけで世界の情景などを、
見たり、聞いたりすることができて、生活がとても便利になっている。例えば
、一日中、ただテレビの前に座っていれば、たくさんの情報を得られるし、車
や飛行機に乗ってさえいれば、どこへでも行ける。このように自分は動かなく
てもいろいろなことが分かるし、簡単になんでもできる。これらの手応えの無
い人生に私たちは、ストレスを感じ、一気飲みや暴走などの激しい行動をとっ
てしまう。
 
 昔の人々は、何を見るにも何をするにも自分が行動しなければならなかった
。このため、昔の人は世界中を見ることはできないし、簡単に遠くへ行く事も
出きなかった。しかし、現代の社会では、生活が便利になりすぎてしまい、い
ろいろな機械もでき、労働も減ったため自分で行動することが少なくなってし
まったからである。
 
 たしかに、現代の何でも簡単に得ることが出来る生活もかかすことは出来な
い。しかし、私たちにとって、現実と実感とのギャップが激しすぎる手応えの
無い人生を送ることは、問題である。「見ると聞くとは大違い。」ということ
わざがあるが、人やテレビで聞いたことよりも、自分の力で実際に見に行って
その現状を知るということは大切だ。