ひとこと(6月3週)
言葉の変化
イチゴの広場
うと中1
 
 現在、日本人で全ての言葉を正しい意味で知っている人は、非情に少ないだ
ろう。普段日常で使っている言葉の中にも、間違った意味で覚えている言葉が
含まれている。例えば、「馳走」だ。「馳走」というのは、走るの意だが、今
ではおいしい食べ物のことになっている。これは、おいしい食べ物はてまひま
かけて作る、という所からきている。結構、や遠慮なども同じだ。 ところで
、吊り皮というものがある。電車やバスの天井から吊っているあれのことだ。
あれはたしかに吊り皮というものなのだが、あれを吊り皮といってはたしてい
いのだろうか?吊りビニール、といった方が正しいのではないのだろうか?あ
れはたしかに昔は皮だった。だがしかし、今はどうだろう。皮よりビニールの
方が多いのではないか?と、まあこんな事を言っているときりがないが、この
ような例はほかにも多く存在する。駅や駐車などもおかしい。今は馬など使っ
ていないのに何故馬偏がつくのか?このように数えればきりがないほど、私た
ちは、言葉を間違った意味で覚え、そして使っている。昔ながらの言葉にする
か、今は使っていない、新しい言葉を作って、そっちに統一するか。難しい問
題だが、私は、昔ながらの言葉に統一する側だ。あたらしくすると、やはり今
まで使ってきた言葉のなごりもあるし、なにより、昔ながらの伝統を失うこと
にもつながるからだ。ただでさえ日本特有の文化が消えていく一方なのに、と
考えると、昔ながらの言葉を使うほうが断然言いようなきがするからだ。私が
あっているとは限らないが、同感できる部分は必ずあるはずだ。結局、新しく
変えた所で、あまり良くはならないものなのだ。