ひとこと | (6月3週) |
文化 |
アジサイ | の | 空 | の広場 |
吉見 | / | こと | 大2 |
人間は、よく文化を持った生物と呼ばれることがある。電気製品、音楽、乗 |
り物、政治これらは、すべて文化の賜物である。人間はもはや文化なしでは生 |
きられない存在になってしまった。私たち人間にとって文化という装置は、も |
ともと混沌の塊である世界に秩序を与えるために太古の昔から今日の社会の至 |
るまで作り続けている物である。しかし、その文化は一旦出来上がると、それ |
は自立性を獲得し逆に、その創造者たる人間を束縛してしまうことが少なくな |
い。文化の自立性は私たちに様々な弊害をもたらしている。 |
例えば政治である。特に選挙は人間の作り出した文化の傑作かもしれない。 |
私たちが信頼できる人物を判断し、そして国政を担ってもらう。私も二十歳に |
なり選挙権を持つこととなった。今度の参議院選挙が私の最初の投票となる。 |
しかし新聞などの報道を見る限り、年々、選挙の投票率がのきなみ減少してい |
る。主な原因として政治腐敗や日常の煩雑さが原因とされるが、一番の原因は |
投票したが、政治に参加しているという実感がわかないことであろう。選挙は |
国政に私たち国民が参加できるようにするために創り出された文化である。し |
かし、その選挙という文化は今日のような様々な弊害をもたらしている。これ |
からはインターネットなどのメディア情報を駆使した新しいタイプの選挙が要 |
になるかもしれない。 |
デュルケムの自殺論で、デュルケムは自殺する原因は、人との関係が薄くな |
ること、と言っている。これは今日の文化の特徴を言っているのではないか。 |
コンピューターによるデスク・ワーク、ポケベルを通じて友達となるベル友な |
ど、相手と直接、合わずとも用事をきちんと済ますことが出来るのが、今日の |
文化である情報社会である。人と関係が薄くなれば薄くなるほど生きていると |
いう実感がわかなくなる。生きている、という実感がわかないのだから当然、 |
死ぬ、という実感もわかない。つまり生死に無頓着になってしまうのだ。これ |
も文化の弊害といえる。これからは、たとえ機能や効率を多少犠牲にしても人 |
間味のあるものが文化となりえるだろう。 |
今日の社会における文化は大変、便利であり、かけがえのないものである。 |
多少の弊害も(実際、多少ではないが)実際のところ、その文化の便利さの中 |
では消えてしまうものである。しかし今日の文化の問題点は実感を感じないこ |
とである。国政に参加しているという実感、生きているという実感、人と触れ |
合うという実感。実感を感じなければ私たちはロボットと同じである。良い馬 |
は坂を登りたがるという。私たちも、坂を車で登るのではなく、自分の足で一 |
歩一歩進んでいく態度が必要である。実感できる文化。これを創り出すのが私 |
たちの課題である。 |