ひとこと | (6月3週) |
無題 |
アジサイ | の | 滝 | の広場 |
さやか | / | あおべ | 中3 |
言葉というのは存在しながら存在していないような、透明になってしまって |
いるような感じがする。しかし、詩を読むと言葉が不透明なものになってしま |
い、私たちが言葉というものを改めて認識することになる。詩を読むことで私 |
たちが今まで経験しなかったような経験を生み出すことができる。私たちの日 |
常生活のなかで言葉のきまりというものが習慣的に決まっているが「詩人」と |
呼ばれている人たちは、日常的な経験を超える経験を持つことで言葉の枠を超 |
えることが必要になってくる。 |
私達は普段詩のようなことばを使わないけれど、詩を読んでみると詩にはさ |
まざまな良さがあると思う。例えば、私達が普段なんとなく思っていながらも |
言葉にすることができない時、詩を書くと自分の思っていることがすっきりと |
書けたりする。また詩は美しいとも言われる。私も普段思っていることを詩に |
書いたらなんとなくすっきりしたということがあった。また、「かっぱかっぱ |
らった」などの詩やしゃれ言葉や「すもももももももものうち」などの言葉な |
どは、本当に特に意味はないけれど、私達を楽しませてくれる。 |
又、詩的な言葉というのは、私達人間にとって、とても大切な人間らしさで |
あり、又、ユーモアであると思う。詩的な言葉に対し、現実的である言葉とい |
うのは、私達が普段生活する上でなくてはならないものであり、とても役に立 |
つものであると思う。しかし、もしも私達が現実的な言葉しか使わなかったら |
私達の生活はとてもつまらないものになると思う。例えば、大きな劇場のよう |
な所にいったら、「橋本竜太郎の演説会」という会場と、「お笑い」の会場と |
いうのがあったら、政治に関心がある人以外は「お笑い」の会場に行くと思う |
。それは、ユーモアある詩的な言葉が私達を楽しませてくれるからであると思 |
う。 |
私達は普段なにげなく言葉を使っているが、私達の生活の言葉の中にも詩的 |
な言葉というのは入っているのだと思う。その詩的な言葉があって、私達は毎 |
日楽しく生活していっているのではないかと思う。「なまけ者であることを批 |
判するよりも、人間とはもともとそうしたものだというところから出発するべ |
きだ。」という言葉がある。詩的な言葉よりも普段使っている現実的な言葉の |
ほうが大事であると思う前に、人間には詩的な言葉が必要であると考えたほう |
がいいと私は思う。 |