ひとこと(7月2週)
得意を伸ばすか、苦手を直すか
アジサイの広場
つと
 
 
 
  最近、会社の人事制度で、社員の評価を減点主義から、加点主義に変えた
というような
 
 新聞記事をよく目にする。教育改革でも、個性を尊重する、ゆとりのある教
育といったよ
 
 うなテーマをよく耳にする。これらは、今の日本社会が、苦手なものの少な
い平均的な人
 
 間より、得意なものをもっている人間を必要としている兆候であると考える
 
 
 
  仕事上の失敗が評価に大きな影響を与える減点主義は、社員全体がそれな
りの仕事をし、
 
 会社の風土も見かけは安定する。得意なものがあるよりも、苦手なものが少
ない方が評価
 
 されるのである。ちょうど、徳川幕府時代の農村のように、集団で稲作づく
りをして、全
 
 員がそれなりの役割を担っていれば、事足りる。そのような安定を乱すよう
な異能はかえ
 
 って迷惑になるような状態と似ている。「出る杭は打たれる」の言葉通り、
良くも悪くも
 
 平均以上の行動をする者は、村八分になる。安定しているが変化の出来ない
集団が社会を
 
 支えるのである。戦後の社会は、官僚という一部のエリートが方向付けした
政策に企業が
 
 付き従って、成長してきた。江戸の農村同様に、平均的パフォーマンスをし
ていれば、企
 
 業も安定的に存続できた。
 
 
 
  ところが、社会全体の枠組みが不安定になってくると、状況は変わってく
る。江戸幕府
 
 のように秩序を支えてきた米国の庇護の下、安定を享受していたシステムが
変化してきた。
 
 国際的な状況が不安定になってきた今日、むき出しの資本主義が世の中の標
準となってき
 
 た現在。お上に従っていれば、生き残れた時代とは全く別の価値観が求めら
れている。そ
 
 れぞれの企業が、個人が、己の判断と能力で生きて行かねばならない時代と
言ってよい。
 
 ちょうど、戦国時代に信長や、秀吉といった個性的な人物が時代を動かした
ように。平均
 
 的な人間が求められるより、秀でた人間が求められるのである。苦手なもの
が多くても、
 
 人より秀でた、得意なものをもっている人間が社会の活力を生むのである。
人事評価の変
 
 化や、終身雇用の崩壊等、様々な企業の変貌は、時代への適正な対応と言っ
て良いのだろ 
 う。
 
 
 
  企業がそのような対応をしている中、人づくりの基本である教育は相変わ
らずである。