ひとこと(7月3週)
無題
アジサイの広場
拓馬ねき中1
 人間は他の人間と自由に交わることができる。また、交わる相手を自由に選
ぶことができる。この様な選択によって成立しているのが人間関係だ。しかし
、血縁関係および親子関係は例外である。これは宿命的なものであり、決して
きろうと思って切れる代物ではない。それが最近、縁がついたままで隔離され
る存在になりつつある。社会が進歩し、変化するかぎりこれは避けられず、親
子の間に一種の緊張関係が生まれる。そして親子は、ただ形だけの、「むりやり
一緒にされている」、という関係になってしまう。
 
  大人は社会の目まぐるしい変化についていけない。ゆえに、今の流行は何
だ、子供達は何に興味を持っているかなどが、自らの子供のことでさえほとん
どわからなくなっている。だから、親は自分の経験を通じて子供を育てること
はできないのだ。そして子供は社会の変化に対応してどんどん近代化していき
、古い考えの親と新しい考えの子供、という風になり、親と子供に考えのずれ
が生じて、前に述べたような関係になってしまうのである。
 
  また、他の視点から見てみると、この200年ぐらいの急激な科学成長によ
って、各製品の性能などのトップ競争が避けられないぐらい「競争」というも
のは私たちと密接な関係にある。つまり、まだ子供の時から常にトップでいな
ければならない→トップ競争がある→競争勝つために学力が必要→学力強化の
ために勉強が必要、と親の頭に浮かび、さらにこの場合、子供の意志ではない
ので、子供が勉強をやらない→無理にでもやらせる、となる。その時子供は、
自分は勉強が好きではない→むりやりやらされる→親が信用できなくなる、と
考える。そして、まだ心が出来上がっていない子供にとって、これは思いのほ
か重くのしかかり、ますます親子の関係は悪くなる。これは自分達だけで起こ
しているように見えるが、実はこれらを取り巻く社会の急激な変化と、それに
伴う気持ちの変化、その上に現代の社会現象である「ストレス」が重なり合っ
て、この様なことが起こっているのである。
 
  「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている」
というように、親が子供のためだと思ってやっていても、それが子供にとって
おせっかいになったり、逆効果になったりする。親と子供は、同じようで違う
、いわば太陽と月のようなものであり、それぞれが価値を持っている。そして
これからはお互いの気持ちを考えていかなければならないのである。