ひとこと(7月3週)
「蛇」
アジサイの広場
ペー吉うき中2
人間は他の人間と自由に交わることが出来る。しかし、その自由な関係の中に
「血縁関係」という例外がある。他の関係と違い、親子の関係だけは宿命的に
与えられてしまっている。しかし、最近は親子関係がスムーズでなくなってき
ている。これは、社会が変化していったからだと思われる。子供と親の経験が
異なるため、子供を自分の複製品として育てることが難しくなってきたのだ。
この社会の変化により、さまざまな問題が発生していく。親子の間に、緊張関
係が生まれていくのだ。
 
 私は、最近の変化に対応できている。それは、私が若者だからなのかもしれ
ない。しかし、こういう社会だからこそ、時に先人の知識も必要になるのでは
ないか。パソコンが半ば日常的に使われるようになり、携帯電話で会話をし、
プレステで遊ぶ。現代社会は、目まぐるしい変化の群れだ。しかし、この変化
に大人も対応していくことが必要なのではないか。社会の動きが変化し、それ
までの常識が変わっていったとしても、「社会全体が」変化するほどの動きな
ら、それは進歩であるはずだ。
 
 「婆食い婆」の昔話のように、変化しすぎた社会では逃れられない悲劇とい
うものもある。便利であるが故に、危険性も孕んでいるのだ。しかし、その危
険性を限りなくゼロに近づけるのが「社会の進歩」ではないかと思う。
 
 「脱皮できない蛇は滅びる」とニーチェは言った。これは、かなり的確な言
葉だ。蛇は古い皮を脱ぎ捨て、新しい体で野山を進む。古い皮は二度と見ない
。我々も、古い「皮」にとらわれず、大人も子供も、この変化の激しい時代を
「脱皮」しながら、環境に適応していくしかないのかもしれない。しかし、そ
うした時に、親から子へ、子から孫へと伝わっていた知識が失われていっては
いけないと思う。蛇は蛇であって、皮を脱ぎ捨てたからといって蛇以外には決
してならない。皮は周囲の状況にあわせて変わっていっても、「蛇として在る
」というのは、変えようのない事柄なのだ。