ひとこと(7月3週)
庭は原始社会では
アジサイの広場
正之おき高3
 庭はかつてはあらゆる生活の幅を含めた、集団社会の共通の広場だった。し
かし、歴史がくだるに連れて庭園は観念的・趣味的なものになり、公共性を失
い始め、昔のような庭園の美的な高さ、厳しさ、純粋さがなくなってきた。こ
れが庭として、決して本来の意味ではないことは確かである。だから、これか
らの庭の理想は、公共的であると同時にプライヴェートであり、運動的である
とともに、休息的、しかもきわめて芸術的であるべきである。
 
  そして、我々は庭と言うものを私的なものであるとこだわらずに、公共的
なものとして市民に楽しまれるような場としていくべきであると思う。
 
  例えば、童話「三匹のこぶた」に登場するそれぞれ兄弟である三匹のこぶ
たは、自分だけの家を作るために三匹別々に家を作ったのであったが、おおか
みに家を壊されてしまい、結局は三人で協力して一緒の家を作ることになった
のである。こうして、プライヴェートな所有物を持っていてもひとりで何もか
もしなければならないので、何事もなるべく大人数で行動できるものを作るべ
きであると思う。
 
  また、今の時代は家で自分の部屋というものを持っていると言うのが結構
一般的になっているのであるが、この一人部屋と言うのもプライヴェートは守
られるかもしれないが、部屋の整理や掃除などがあってひとりでするには大変
な事が多いのである。だから、こういった部屋のようなものも2人や3人の方が
仕事が分業化され、協力的になれるのである。
 
  確かに、庭を私的なものとして一人で没頭して楽しむのも良いかもしれな
い。しかし、「家とは、外から見るための物ではなく、中で住むための物であ
る。」と言うように、我々は庭を見せ物とするのではなく、実際に他の人々と
楽しむものとして利用していくべきだと思う。