ひとこと(8月2週)
実力主義と平等主義
アジサイの広場
武照あよ高1
 日本は国民全体の教育水準は高いが天才が生まれないと言われる。確かにい
われてみると日本からはビル・ゲイツといった世界レベルの天才というのはほ
とんど生まれていない。それには欧米が実力主義であるのに対して日本社会が
多くの人が歩みの遅い人に合わせる社会であるということが多いに関係してい
るであろう。この様な社会においては国民全体の生活水準は一定させることが
できる。しかし徹底した平等主義である社会主義が個人のやる気を失わせてい
るのと同様、日本の平等主義においても年功序列といった向上心に欠ける社会
ができあがってきているのも事実である。
 
  この様な平等主義は学校教育に根差すものであろう。誰もが次のような言
葉を聞いたことがあるであろう。「人間はジンカンと読みます。つまり人間は
人と人の間にいてこそ人間なのです。自分だけでは人は生きられません。みん
なの中の自分だということを覚えておきなさい。」つまり君たちは共同体の一
構成要素に過ぎないんだよということである。この様な個人の小ささだけを強
調された社会から向上心も生まれるとは思えない。
 
  それではどうすれば向上心を生み出すことができるのであろうか。それは
自分の大きさを知ることに他ならないであろう。私の好きなテレビのコマーシ
ャルに次のようなものがある。確かアップルコンピューターのものだったが、
「クレイジーな人達がいる。自分の手で本当に世界が変えられると思っている
。人は彼らをクレイジーというが我々は天才という。なぜなら彼らこそが本当
に世界を変えていくのだから。」自分の大きさを知ることは偉大な人達が共通
して持っている無鉄砲さと共に何かを成し遂げる向上心にもつながっているこ
とであろう。
 
  私の子供の頃から愛読している小説に「冒険者たち」というのがある。い
ろいろな長所も短所も持った十数ひきのネズミたちが島の仲間を助けるべく新
たな歴史を築こうとする島のイタチ達と戦う話だが、ネズミ達がそれぞれ十数
匹のうちの一匹に過ぎないと思っていたらイタチに一匹で踊りの勝負をしたり
という個々の特技を活かすこともできなかったであろう。それ以前に島に渡る
こともなかっただろうが。
 
  確かに自分の大きさのみ強調された社会は「思いやり」の欠けた社会にな
る可能性を秘めている。「思いやり」という結合原理を失った社会は共同体と
して存在できなくなるであろう。つまり実力主義も全員一緒という平等主義も
それぞれの極端な形では機能するものではない。しかし「出る杭は打たれる」
社会だからこそ自分の大きさをもっと知ることが今の日本に求められているで
あろう。ロバも旅をして大きくなって帰ってくれば馬にもなれるのである。
 
 
 
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