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対照的な行動      ~人生に不可欠な物

アジサイの広場
小林ねき中1
 勉強と遊びと言うふたつの全く対照的な行動は、人が生きていくなかで必要
不可欠名ものである。日本で勉強と遊びどちらが好きか、と質問すれば、おそ
らく99・99%の子供が遊びと答えるだろう。ではなぜかと質問すれば、勉
強がきらいだからとか、遊びは楽しいからなどの応答があるだろう。しかし、
前にも書いた通り勉強と遊びはどちらも大切である。人生のうち、遊びは9割
以上、勉強は1割未満と言うわけには行かない。難しいことだが、世の中を生
き抜くにはこれが大切なのである。
 
 理由を挙げよう。それはずばり、「今日の社会の状況」である。ストレスと
競争が飛びかうこの社会で、ストレス発散のための遊びと、競争で生き残って
いくための勉強、という役割分担がある。例えば、5時間ほどずぅっと勉強を
していたら、頭が段々おかしくなってくる。そこで、1、2時間休憩を取って
自分の好きなことをやる。といっても、1000ピースジグゾーパズルやめっちゃ
複雑なプラモデルなんかやっていたらそれこそ頭がパンクしてしまう。だから
外で思いっきり動いたりして、頭をすっきりさせるのであう。もっとも、遊び
の本質はこんなものではないのだが、それは今はまだ伏せておこう。とにかく
、勉強と遊び両方とも必要不可欠だ、と言う事がこれで分かっただろう。
 
 もう一つ理由を挙げよう。それは、「勉強と遊びの本質」である。勉強は大
抵の子供が嫌いだが、大人になると、勉強が嫌いではない人(決して好きな人
ではない)も若干でてくる。それは、「あの時勉強しておけばよかった」とい
う後悔の念と、勉強の本質への理解が大人になってから出てくるからである。
私が考えている勉強の本質というのは、直接自分に関係するもの、又はそう思
うこと、である。つまり、勉強という「努力」と「根気」のいるものをやりぬくに
は、なにか絶対的な思いや、支えが必要である。人から「お前のためだ」とい
われても、それほどやる気がしないが、自分で「自分のためだ」と思い込めば、
やる気はするだろう。そして、そのおかげで成功すること、さらに人としての
考えが深まることが、私の考える勉強の本質である。しかし、遊びの本質が見
えてくるのはそれとはまったく対照的に子供の頃である。例えば、説明書を見
ても訳の分からんパソコンを適当にいじっているうちに、段々分かってくる、
というのは、よく聞く話だろう。これは、ただただいじくって遊んでいただけ
なのに、いつのまにかできるようになっていた、ということである。つまり、
好奇心で遊んでいたら、いろんな物が出てきたから、想像力を働かせて謎を解
いていった、ということである。すなわち、私の考える遊びの本質とは、好奇
心と想像力である。
 
 民主主義は、教科書には書かれていないという名言があるとうり、型にはま
った遊びや勉強も悪いとはいわないが、自分で考えて行動するような遊びや勉
強をしていかなければならないと思う。他人を考えていけるような、かつ強い
人間にならなければならないのだ。