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I love you...(うふふふふ)
ウグイスの広場
がっちゃんてな中2
 若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき、日本人はほとんど言葉を口にし
ない。言葉を口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て「いいお月さんですね。」そ
して二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのである。つまり、
日本では言葉ではなく、物理的対象物を共に見ることで、社交が成り立つのだ
。しかし、西洋人の場合はそうはいかない。西洋人はしゃべることが社交の基
本になっているのである。だから、話が途切れると白々しかったり、気まずか
ったりする思いをしないとならない。日本のように、「見る」対象物を一つお
いておけばそういう緊張感はなくなる。しゃべりたくなったらしゃべればいい
し、しゃべることがなくなったら、見ているだけでいい。
 
 確かに、しゃべっていると楽しいものだ。小さい頃の場合は、「遊ぶ」=「
おにごっこ、かくれんぼ」だったが、中学生になってからの「あそぶ」は、=
「しゃべる、買い物」となる。だから、私もほとんどしゃべっているし、つま
らないとは全然思わない。でも、話しているだけではいつかは話のねたが途切
れてしまう。とくに長電話や、登下校時は話の途切れることは多い。
 
 しかし、見るものがあるとどうだろう。私が話の途切れる、長電話の時や登
下校、特に見るものはない。しかし、見たものを話すことはできる。例えば、
学校帰りに友達と二人で歩いていたとしよう。あるとき話がとぎれた。そのと
き自分が見た木や人や建物を話しの種にして話せば、白々しくならないで済む
し、違う話題ができて反対に楽しい。
 
 物を見てはなすという日本人のしゃべり方はとてもすばらしいと思う。しか
し、「音楽は歯痛を治してはくれない」という言葉があるように、物を見たか
らといって何でも心が通じ合うものではない。、花見をしていても、「桜に蜂
が止まっているなあ」と思っている心が相手に全て分かるかというと、そうで
もないはずだ。しかし、西洋人の「しゃべる」という社交も考え物だ。したが
って、見た物を話にどう生かすかどうかが大切である。上手く生かせない人の
話すことはいつもつまらないものだ。