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勉強と遊び
アジサイの広場
さやかあおべ中3
 小学校の頃、受験の為たくさん勉強したが、今あまり覚えてない。私は勉強
がきらいなので、なるべく勉強をしないようにしている。もちろん人間にとっ
て勉強をするということは、大切である。私達は勉強することによって会話も
楽しくなるし、何かを知るということはとても楽しい。知識が豊富にある人は
、視界が広くていろんなことがわかり人生が楽しいのではないかなあと思う。
私は毎日学校に行って勉強をしているし、テストの時は猛勉強をするが、テス
トが終わるとすっかりとわすれてしまって、意味がない。でも、時々、私達が
人間であることに役立っているのではないかと思う。オオカミ少女は、オオカ
ミに育てられたため、人間としての教育がなされてなく、不運な生涯を送った
といわれている。それを思うと、私達が嫌々ながら覚えている勉強も人間とし
ての基礎になっているのだ。
 
 しかし、勉強ばかりしていて、知識を詰め込んでいる人よりも、教養があっ
て面白い人の方が、付き合っていてその人から学ぶことが多い。遊ぶことによ
って、友達や、集団生活を身に付けたりする。集団生活という点においては、
学校があるが、学校以外で遊ぶということは大切であり、人間らしく生きる為
に欠かせないものである。昔話の「金太郎」は、勉強というよりも、熊たちと
遊んでいたので、教養が身につき、みんなの為に木を倒して、橋をつくってあ
げたのだ。勉強は私達の知識を豊富にするが、遊ぶということからは私達と他
人が関わってゆくときに必要なことを学べるのだ。人間は一人では生きて行け
ない。私達が人と関わって行くときに、真の人間性が問われるのではないか。
そう思うと、遊ぶことも又、人間を作るための基礎となっているのだ。
 
 日常生活の中で、「勉強」と「遊び」というのは正反対と考えれらているが
、「勉強」と「遊び」というのは人間を対象として見たとき、同じような意味
になるのではないか。人間は学び、知識をつけることによって成長して行く。
又、「遊ぶ」=集団生活の中、友達関係と関わりをもつ。という中で、人間性
を作るための基礎となる。「人間は、求めているかぎり迷うものだ。」という
言葉がある。もしかしたら、私達の人生の中で「勉強なんてなんでしなきゃな
らないんだろう。・…」「遊んでばかりいないで勉強しないと。」と思うこと
があるかもしれない。しかし、「勉強」と「遊び」は私達にとって人間として
生きて行くことを教えてくれるものなのだ。私は「勉強なんてやだな・・。」
とおもうことがこれから先もあると思うが、頑張って良い人間になり、すばら
しい人生を送りたいと思う。