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鶏口のよさと牛後のよさ
アジサイの広場
T.Oいう高2
 日本の故事にあるように、この世界の人々は中小企業に勤める人々は「鶏口
」、大企業に勤めている人々は「牛後」と分けられる。「鶏口」は世間からの
目は割と厳しく、身の安全は保障されないが、経験が浅くても大役をまかされ
ることもありやりがいが持てるという利点がある。「牛後」は世間から注目を
浴び、一度なればその身分は保障されるのだが、少々の努力ではどうしようも
無く、最終的にはだれてしまう結果になりやすいという欠点がある。日本人は
どちらかというと「牛後」の方を目指している傾向がある。たしかに現在は「
牛後」で暮らす方が暮らしが安定しているが、人間らしい挑戦する意欲を持ち
つづけるには「鶏口」である方がいいと思う。
 
  私の学校は高二以上になると成績によって選抜クラスと普通クラスに分け
られる。教師陣は選抜に入っていないと合格は難しいとかいろいろ言ってくる
が、仮に選抜になったとしてもその中で常に下位で陥落の危機にさらされてい
たのでは逆にやる気も減退してしまうのではないだろうか。誰になんと言われ
ようが、普通クラスの上位にいて一歩一歩着実に前進していく方が向上心が沸
いてくるのではないかと思う。
 
  童話「金太郎」では、金太郎は小さい村だったがその中では敵なしでなお
かつ熊に相撲で勝ったということで、ますますその名を知らしめることになっ
た。強者揃いの中の片隅に細細といるよりも、自分が頂上にいられるところに
いる方が自分に自信が持てるようになるのではないか。
 
  「鶏口」が良いといっても、そこで満足してしまい向上する心を失ったら
何にもならない。そうなるくらいなら「牛後」の下っ端の方でもいいから人々
からの良い評判に囲まれていきる方がまだ安全である。しかし、「艱難汝を玉
にす」という言葉にあるように、自分の手すなわち鶏口にあたるクチバシで少
しずつ苦労して原石を削って玉に仕上げることこそ人間の生きる意味があるの
ではないかと思う。人間は辛いこと、責任のあることを成し遂げて初めて成長
できるのだと思う。