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お月様と人魚姫
アジサイの広場
JIROあすな中3
 桜の花は、日本民族のシンボルとして、大共同体意識の中核におかれ町内や
職域といった小共同体の仲間が、つれだって出かけることが多い。それは新し
く共同体意識をもりあげようとするか、あるいはこわれかかった共同体意識を
たてなおそうとするのに利用される。西洋のように、しゃべることが社交の基
本ではなく、日本では、言葉でなく、物理的対象物をともに見ることで社交が
成り立ち、日本文化の中でのコミュニケーションの方法でもあるのだ。
 
 「以心伝心」という四宇熟語の意味は、言葉で表さなくても相手に伝わると
いうものだが、それはどんな時にも活用できるかといえば、それは違うと思う
。この言葉の場合は、よく知った仲であるという前提に基づいて活用されてい
る。もし見ず知らずの人に‘私を分かってくれ光線'を出したところで‘何だ
こいつは'ということになってしまう。こうなったら以心伝心もあったものじゃ
ない。やはりコミュニケーションには会話が不可欠なのだ。
 
 「人魚姫」というお話は、人魚姫が惚れてしまった人間の王子様に逢いたく
て、魔女に自分の美しい声と引き換えに足の生える楽をもらうために、王子様
の結婚の相手に選ばれなければ泡となってしまうという約束をする。しかし人
魚姫は王子様のハ--トをGETすることなく、海の泡となって消えてしまう…と
いうものだが、これは王子様と会話ができなかったために人魚姫は王子様に心
の内をわかってもらえず、隣の国の王女様にもっていかれてしまった。やはり
言葉で表わすということなしには、相手に自分の事をわかってもらえるわけが
ないのだ。人魚姫だって幾度王子様と一緒に月を見たことか、しかし選ばれな
かったのだ。何のために顔には口があるのか、それは人と「話す」というコミ
ニュケーションを取るためにあると思うのだ。
 
 しかし、「人は食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのであ
る」とあるように、人はコミュニケーションをとるために「話す」のではなく
、「話す」ためにコミュニケーションをとらなくてはならないと思う。そうで
なければ口から先に生まれてきた私としては、人間の顔に口がついている意味
がないではないかと思うのだ。