先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
ホニャララさんのおかげ
イチゴの広場
松本あさも中1
 衰弱したアイディンティティのぎりぎりの補強、それを個人レベル、感覚レ
ベルでみれば多分「清潔願望」になる。じぶんの存在が他者にとってわずかでも
意味があること、そのことを感じられるかぎり、人はじぶんを見失わないでい
られる。僕らは他者という鏡がないと、自分自身にすらなれないということだ
 
 例えば、ホニャララさんには、私がいないとだめだ、などのように自分が自
分以外の他人の役に立っている、と考えることによって、自分の存在を確定で
きる。私も、だめまではいかないが一応、私の話で笑ってくれる人はいる。そ
の人が笑ってくれる(作り笑いでも)なら、私は私の存在を確かめることができ
る。
 
 また、「私は他の人とはちがうんだ!」と思うことでも自分の存在を確定で
きる。私も、みんなが「Jr.っていいよね~」と言っているが、私はそうは
思わない。まして、「ケッ、ただのTVに出ている人じゃん!!」とか思って
しまう。(ファンの人ごめんねっ)
 
 確かに、人の目を気にし、他の人を鏡にしてじぶんの存在を確かめることも
大切だが、私は、自分で自分の存在を確かめることも大切だと思う。「花はだ
れが見ていなくても咲いている。」という言葉があるが、花は、他者という鏡
がなくても、一輪だけでも咲いている。だから私は、自分で自分の存在を見つ
ける事が大切だと思う。