ヨーロッパ発の経済危機が起きた場合、日本の証券会社や銀行も、ヨーロッパの国債デフォルトに関わるCDSを取り扱っているようですから、ヨーロッパの破綻は、日本の金融機関の破綻にもつながってきます。
日本の大手証券会社や大手銀行が破綻しそうになったとしたら、国は、その金融機関を救済するために、資本注入で乗り切ろうとするでしょう。そのときの原資は、印刷されたマネーです。
その一方で、預金の引き出し額制限などの対策をとるでしょう。
また、銀行は、手持ちの資金を確保するために、これまで貸付をしていた企業や個人から、貸し剥がしを始めるでしょう。
こうして、銀行の経営危機が、産業界全体の活動の低下を引き起こすのです。
しかし、日本は、既に1990年のバブル崩壊のときに銀行の貸し剥がしを経験していますから、産業界に対する影響は、世界の中では比較的軽症にとどまるでしょう。
けれども、社会全体が不況に向かうことは避けられません。
その一方で、銀行を救済するために印刷されたマネーによって物の値段が高騰していきます。
これが、不況下のインフレです。
なぜこういう事態が起きてきたのでしょうか。
社会の富の本質は、人々の需要です。欲しいものがあるから買いたいという気持ちが、富の源泉です。
だから、人々が本当に欲しいものが需要となり、それが生産されていれば、社会は豊かになり発展していきます。
ところが、工業化時代の終わりごろから、先進国では、そのように人々が心から欲する需要が少なくなっていったのです。
自動車、クーラー、カラーテレビは、かつては豊かな生活の象徴で、人々の憧れの対象でした。しかし、いったんそういうものが所有されてしまうと、もう2台目の需要はありません。もっと高性能のものが出てきたとしても、それは最初の需要ほど強いものではありません。
こうして、先進国では、富の源泉が次第に枯渇していったのです。
しかし、先進国には、これまで蓄積したマネーがありました。このマネーの使い道を作るために、別の需要を作らなければなりませんでした。
そこで、国がケインズ政策という大義名分で作り出した需要は、人々の本当の需要に基づいていない架空の需要でした。その架空の需要が消えないようにささえる枠組みが、利権システムでした。
更に、その架空の需要は、リアルな経済を離れ、マネーがマネーを需要する金融工学として発展していきました。
人々の生きた需要よりも、人為的に作られた架空の需要の方が大きくなり、それを富だと勘違いしていた時代がしばらく続きました。
今起きている経済危機は、その勘違いが明らかになり、破綻しようとしていることなのです。(つづく)
※クリスマスイブにふさわしくなさそうな話を始めてしまいましたが(^^ゞ、最後は明るい話にする予定です。