工業時代のニーズは消費でした。その消費のためにお金を稼ぐというのが仕事でした。
これからの文化の時代のニーズは生産です。生産と言っても、物作りのような生産とは少しニュアンスの違う文化の生産です。それが物の形をとることもありますが、本質は物ではなく文化です。だから、生産という言葉より創造という言葉の方が合っているかもしれません。
自分が何かを創造し、それを提供することによって人々が喜び、その喜びの返礼としてお金が手に入るという結果がついてきます。これが新しい経済の流れです。
最初は、小さな流れがあちこちに生まれるだけかもしれません。先ほどのスピリチュアル講座を開設した女性も、最初は近所の人の相談にのるぐらいかもしれません。しかし、やがてそういう流れの中から、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズが現れてきます。
ゲイツやジョブズは、IT(インテリジェンス・テクノロジー)という工業の世界から生まれました。だから、スタートは自分の頭の中にあるアイデアでしたが、作られたものは物であり、多くの人が消費することを前提とした製品でした。
これからの文化の時代に作られるものは、単なる物ではありません。自分もその生産あるいは創造に参加できるという新しい資格のようなものなのです。
だから、女性を中心とした多数のミニ起業家の中からやがて現れてくるのは、本当は、ゲイツやジョブズというよりも、女性の松尾芭蕉や女性の千利休といった方が近いでしょう。
俳句を作るのに、工場や機械設備は必要ありません。お茶を飲むのも同様です。占いやヒーリングや運勢改善も、基本は同じです。マインドマップや速読法や記憶術も同様です。
今の世界ではまだお金を動かすために、物という形をとることも多いのですが、やりとりされる本質は物ではなく文化です。
そして、文化の本当の楽しみは、自分も創造に参加できるということにあるのです。
iPhoneを買うのも喜びですが、自分で俳句を作るのも喜びです。同じように、自分でだれかをヒーリングするのも喜びです。そして、自分のヒーリングが売れるとなれば、あるいはヒーリング講座が売れるとなれば、それは物を手に入れる消費の喜びとは質の違った喜びになるでしょう。
時代の象徴となる人物は、工業時代には、本田総一郎や井深大でした。江戸の文化の時代には、松尾芭蕉や千利休でした。そして、もう少しさかのぼれば清少納言や紫式部でした。
いずれも、登場した最初のころは、それらの人物が担う製品や文化が社会の中で大きく育つとは思われていませんでした。
今、日本は、そういう新しい文化の時代が始まる歴史の前にいます。
言葉の森が、森林プロジェクトとして考えているのも、そういう新しい文化としての教育です。(つづく)