教育の基本は早めにはじめること。
しかし、大事なのは、
勉強の中身ではなく、
勉強の形。
勉強の中身に関して言えば、小学校低学年のときに長い時間をかけて、知識の先取りをしたところでたかが知れています。
小さいころに苦労して身につけたことも、学年が上がればもっと短時間で簡単に、しかも本格的に身につけられるものがほとんどです。
しかし、低学年のときほど、子供も大人も、その子の成長を他人と比較して見てしまうので、知識の中身を多くして人より先に進むことが教育の目的のように考えてしまうのです。
一方、勉強の姿勢や形や習慣は、目立たないものですが、最初に身につけたものがあとまでずっと生きてきます。
例えば、勉強は、損得や勝ち負けで誘導するものではありません。
小さいころから、「この子に勝った、あの子に負けた」という勉強の仕方をさせると、子供は勉強を勝ち負けの世界でしか見られないようになります。
そういう子はなぜか学年が上がるほど、勉強に対する意欲が低下していきます。
また、「がんばったら賞品がもらえるから」という勉強の仕方をさせると、賞品がなければがんばれない子になります。
勉強は、毎日決めたことを、勝ち負けも賞罰もないところで坦々とさせるのが基本です。
そうして、勉強の基本的なスタイルを身につけていった子が、やがて勉強の必要性を自覚してくると、そこから急速に力をつけていくのです。
ということで、今日は、勉強の中身と形。
1、中身と形についてひとこと、
又は、
2、「な、か、み」「か、た、ち」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
今朝は、うっすら霧がかかっていました。
霧の朝、なかなかロマンチック(笑)。
空気も暖かくなって、そろそろお花見の季節です(まだ早いか)。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
【昨日の記事の追加説明】
昨日の記事で、「アメリカでは九九のできる子はいない」と書きましたが、それは昔の話で、今は学校で九九を教えているようです。(Christina Holden さんがコメントで教えてくれました。ありがとう!)
ところで、英語の九九ってどういうふうにやるのでしょう。「ツツーがフォー」なんて言うのかなあ(笑)。
さて、この記事に補足すると、例えば、インドでは99×99の九九をやっていると聞いたとき、日本の親のほとんどは、「わあ、すごい。そんなのできたらいいね」と思うと思いますが、実行する人はまずいません。
それは、自分が子供時代そういうことをやっていないから、できて当然とは思えずに、できなくても差し支えないと思ってしまうからです。
これに似ているのが暗唱です。
子供たちに長文の暗唱をさせるとき、親や先生が、「できて当然」と思えば、子供は楽にできるようになります。
しかし、親や先生が、「暗唱なんて大変そう」「できなくても差し支えないし」と思ってしまうと、子供はなかなかできなくなります。
教育を支えているものは、その社会や家庭の文化なのです。