きれいな景色を見ていいなあと思ったときに、それを写真に撮ってしまうと、かえって心に残らないというようなことがあります。
ある本に感銘を受けて、その作者の本を次々に読んでいる間はいいのですが、全集などを買ってしまうと、かえってもう読まなくなってしまうということがあります。
形に残すと、安心してしまう心理が人間にあるのです。
作文の練習として文章を書き写すという練習法があります。
形に残るので、やる方も、やらせる方も、何か確実なことをしている気持ちになります。
しかし、書き写している過程というのは、実は大して心に残っていません。
書くという形に心を奪われているので、かえって内容を心に残すことがおろそかになっているのです。
解く勉強よりも、読む勉強が大事だというのも、同じことです。
問題を解けば、それは形に残ります。問題と解法を読むだけであれば何も形に残りません。
だから、子供も、大人も、その形に残る方をやりたくなります。
ところが、形の残る勉強は、形に残らない勉強に比べて何倍も時間がかかります。
問題を解くのに1時間かかるとしたら、その問題と解法を読んで理解する勉強は、5分の1か10分の1で済むのが普通です。
同様に、文章を書き写す勉強に比べれば、文章を読むだけの勉強は、やはり5分の1か10分の1の時間で済みます。
では、どうしたらいいかというと、文章を1回書き写すよりも、その文章を5回読むだけの方がずっと心に残る勉強になるのです。
今、書き写しの勉強をやっている人は、これを組み合わせるといいのです。
つまり、書き写しが終わったら、その文章を日をおいて5回読むというようにします。
こうすれば、形にも残り、心にも残る勉強になります。
能率がいいのは、読むだけの勉強ですが、勉強に自覚がない小中学生のころは、形に残らない勉強は形骸化しがちです。
そこで、学校も、塾も、親も、形の残る勉強を子供にやらせようとするのですが、本当は子供の自覚を促して、形の残らない勉強をしていくのがいちばんいいのです。