創造的な仕事をしている人に、意外と勉強が苦手だった人が多いのです。
最近読んだ本で言うと、賀来(かく)龍三郎さん、土井利忠(天外伺朗)さん、それからさかなクンです。
それはなぜかというと、答えのある解き方の決まっている勉強をすることに興味がわかなかったからではないかと思います。
だから、逆に、答えのある勉強の解法を身につける勉強を長期間やっていると、成績が上がるのに反比例して創造性や思考力が失われていくのです。
では、どうしたらいいかというと、受験勉強は受験の一時期に集中して取り組むことで、それまでは自分の好きなことにたっぷり時間を費やすことです。
創造性と勉強の関係をよく表している賀来龍三郎さんの話です。
「私は父の仕事の関係で、中学校は戦前の中国の青島(チンタオ)中学に学んだ。数学と物理を教わったのが秋山先生という高等師範学校出身の教育熱心な先生だった。秋山先生いわく、『公式など覚えなくていい。それより十分理解することが大事で、理解していればいつでも自分で導きだせる。難しい公式を覚えて応用問題を解こうなどということは考えるな。ただし、中等教育ではレンズの焦点を測る公式と電圧の公式(電流と電圧と抵抗の関係式)だけは覚えておきなさい。それだけはいくら導きだそうと思ってもできないから』。私はクソ真面目な生徒であったので、その教えを忠実に守った。
その後、旧制五高の理科に進学したが、そのときまではその教えでよかった。しかし終戦後、大学に進学するために、いざ受験する段になって公式を覚えないという勉強方法がいかに不利かということを思い知らされた。東大の工学部を受験したのだが、公式を作りながら解いているうちに一問目で二時間のほとんどがすぎてしまい、受験に失敗したのである。
このため私は当時、「秋山先生はけしからん、あんなこと教えるからいけないんだ」と非常に恨んだ。やはり受験には暗記した公式を基にさっさと解いていく受験テクニックが必要なのだと思った。
ところが、実社会に出てみて、私は再び秋山先生の教えが正しかったことを身をもって感じるようになったのである。東大受験に失敗した後、戦後の混乱が続く中、小学校の代用教員や病気になったりしての回り道を経て、九州大学の経済を卒業して、一九五四(昭和二九)年キャノンに入社した。
キャノンに入社して、仕事の中で様々な問題にぶつかる。しかし、どれもこれも前もって決まった答えなどない。ただ時間は十分ある。テーマによっては一カ月でも半年でも一年でもじっくり考えることができる。そうすると、どんな難問でも解決できる。
多くの人は考えることが面倒くさくなり、『会社生活なんて面白くない』ということになるのだが、私は逆に入社早々から仕事が楽しくて仕方なくなってしまった。十分な時間の中で考えることで、答えは必ず見つけられる。これこそ創造的教育のおかげではないかと、秋山先生の教育方針を再評価したのである。」
ただし、「自分の好きなことにたっぷり」というだけでは、リスクが大きいと考える人もいると思います。
そのときに参考になるのが、江戸時代の寺子屋教育です。
自主的に取り組める勉強で基本をしっかり身につけさせ、子供たちがのびのびと遊ぶ時間もたっぷり確保していました。
これが、小中学校時代の勉強の理想だと思います。