以前、保護者の方から、文系か理系かどちらにするのがよいかと尋ねられたことがあります。
私の考えは、迷ったら理系の選択を原則にするというものです。
なぜなら、科学の分野をいくつかに分ける考えがありますが、人文科学と社会科学の多くは、科学というよりも仮説であり、ものの見方や考え方、人生観や世界観というようなものであることが多いからです。
これに対して、自然科学は、立証できる客観的な現実を基本としています。だから、自然科学、つまり理系的なものが、科学の基本になります。
比喩的に考えると、文系を人間の頭の役割とすれば、理系は人間の手足です。
世の中にある何かを動かそうとするとき、何のためにどう動かすかを考えるのは頭ですが、それを実際に動かすのは手足です。そして動かすときに、理系の知識と技能が役に立ちます。
ところで、ここで大きな問題になるのは、人が文系を選ぶ理由です。
高校生が文系を選ぶ理由は、「数学が苦手だから」というということが多いのです。
同じく、人が理系を選ぶ理由の中に、「国語のような感覚的な世界が苦手だから」というものもあります。
どちらも、苦手だから、自分の苦手でない方を選ぶということが選択の基準になっているのです。
では、なぜ数学が苦手になるかというと、それは点数の差をつけることを目的とした受験数学のせいです。小学校高学年のころから、不必要に難しい問題をやらされて算数数学が苦手になってしまう子が多いのです。
同じく、なぜ国語が苦手にになるというと、これも点数の差をつけることを目的とした受験国語のせいです。ただし、国語の場合は、苦手の理由がわかれば克服は比較的容易です。
数学が苦手だという意識があると、一生数学的なものを避けるようになります。それは、その人にとって大きな損失です。
数学や理科が苦手だということを、人間の頭と手足の比喩で言うと、頭はよいが手足が不自由だということになります。
大きなビジネスの世界では、文系の経営者がビジョンを考え、それを理系の技術者が技術として具体化するというような分業も可能です。
しかし、小さなビジネスの世界や個人レベルの世界では、文系の頭も、理系の手足も、併せ持っていなければなりません。
特に、これからは個人が活躍する時代になりますから、文系も理系も両方できる自律した能力を育てておくことが必要になるのです。
ところで、理系が苦手にならないということは基本ですが、反対に、理系の手足だけが優れているということもまた問題があります。
以前、「理系貧乏」という言葉が使われたことがありますが、理系の得意な人は、世の中全体のビジョンを考える力がないと、目先の技術的なことだけに目を奪われてしまうということもあるのです。
理系の本質は、数学的、科学的にものごとを考えることのできる力です。
文系の本質は、ものごとをより深く、概念的、構造的に考える力です。だから、文系の学問は、国語の中でも考える文章を読み取り、考える文章を書き上げる力になります。
学問には、この両方が必要であり、更に社会生活を送るにあたっては、人間関係力や実行力も必要になってきます。
子供の教育を考える場合、こういう大きい視野で勉強の範囲を見る必要があります。
だから、小中学生の間は、文系的には、難しい文章を読む力、難しい文章を書く力をつけること、理系的には、算数数学に苦手意識をもたないようにしておくこと、この二つが基本になります。
このように、理系も文系も両方必要なのですが、今の学校教育の中では、数学が苦手だから文系を選ぶという考え方が根強いので、できるだけ最初から理系志向でやっていくようにするといいのです。
実は、言葉の森の高校生には、人数を集計したわけではありませんが、理系の人がかなりいます。大学の理学部や工学部に進む人が多いのです。
こういう高校生は、受験に小論文を使うわけではありません。小中学生の間、言葉の森でずっと作文を書いていて、数学が得意だから高校生になって理系を選んだが、作文の方も引き続き勉強しているということです。
それは、言葉の森の作文指導が、感覚的なものではなく、どちらかと言えば、理系的な作文指導になっているからだとも思います。
今後、寺子屋オンエアやオンエア講座などで理数系の力もカバーし、更に難しい長文を読み高度な作文を書くという指導を行い、理系も文系も両方できる子供たちを育てていきたいと思っています。