明治維新を担った青年たちが、子供時代に主に学んでいたものは四書五経でした。
しかし、その青年たちが、ヨーロッパの文化に触れると、それまで全く知らなかった外国語や数学や科学の知識を短期間で習得し、日本の近代化を成し遂げたのです。
それは、それまでの日本文化の中で育った真の賢さがその青年たちにあったからです。
これと同じことが、現代の子育てについても言えます。
大事なことは、賢い子に育てておくことであって、それさえできていれば、あとのことは必要に応じてどうにでもなるのです。
特に、これからは、人工知能の発達によって、従来の知識とは異なるものが要求されるようになります。
どういう知識が必要となるかは、そのときになってみないとわかりません。
しかし、賢ささえ身につけておけば、何が必要になってもそのときにその必要に応じて対応できます。
今は、いろいろな教育サービスが提供されるようになっているので、子供はその目新しさにひかれて興味を持つことがあります。
最近話題になっているのは、プログラミングや英語です。
これは、もちろん子供の興味に応じてやっていっていいのです。
ほかにも、速読とか論理の勉強とか、ユニークなものもあります。また、昔からの定番になっているスポーツや音楽もあります。
それらは、いずれも子供の興味や関心に応じてやっていっていいのです。
しかし、それは裏返せば、特にやらなくてもいいものなのです。
確かに、人とは違った勉強を早めにやっておくと、それが得意になり、その分野で自信を持てるようになります。
しかし、それは単なる気持ちの問題です。
自信が持てるから更にがんばるのであって、早めの知識や技術の習得自体が役に立っているのではありません。
例えば、小さいころから英語の勉強をしている子が、中学生になった最初のころは英語が得意なのですが、夏休みごろからだんだんとみんなが追いついてくるようになると、結局みんなと同じようなところに落ち着くと言われています。
早めにやったかどうかということよりも、その時点で努力できているかどうかの方が大事なのです。
枝葉の目新しさに目を奪われるのは子供の特徴です。
人生経験のある大人は、そういうところではなく、本質的に大事なことに目を向けていくことです。それが、真の賢さを育てることです。
真の賢さをそだてるというのは、平凡なことの積み重ねです。それは、読書と対話と自由な遊びです。
そして、同じ読書でも、子供の楽しく読める範囲での難しい読書を心がけることです。
対話も同じです。子供が楽しくできる範囲での難しい対話をしていくのです。
そして、遊びも同じように、子供が楽しくできる範囲でのできるだけ創造的な遊びを工夫していくのです。
こういう配慮が、大人の役割になると思います。
更に言えば、こういう賢さを育てる勉強のきっかけとして、作文教育が役に立つのです。
作文の勉強の準備として、課題の長文を読み、親子で対話し、いろいろな新しい経験をすることが子供の成長に役立っていくのです。
日本は物も情報も豊富ですから、「何を選ぶか」がとても大切だと思います。確かに子どもは新しいものに目を奪われやすいので、「細く長く継続すること」の大切さを教えることが大人の役目かもしれません。
「真の賢さを育てるのは平凡なことの積み重ね」。本当にそう思います。難しい本を読むことばかりを考えるのではなく、子供が楽しく読める本を楽しく読んでいくことが大事なのですね。