人間は生きているかぎり、いろいろなことを感じたり考えついたりします。
日本では、その一瞬の感情を俳句や川柳や短歌として表す文化がありました。
しかし、この詩形では、自然や心情の描写は表せても、思想を表すには難がありました。
七五調というリズムは、感情をまとめるには適度の制約になり、その制約が感情の圧縮率を高める効果があります。
しかし、思考した内容を表すには、その七五調の制約が不自由に感じられることも多かったのです。
そこで、思考の結果を表現するための制約として、四行にまとめるということを考えました。
やってみるとわかると思いますが、これはかなり役に立ちます。
作文の勉強は、中高生の場合、1200字を1編書き上げるのに大体1時間半かかります。
すると、定期テストなどが迫っているときは、時間的に苦しいということがよく出てきます。
そこで、これまで、忙しいときでもできるアドバイスとして行っていたのは、
1.長文を読んで考えるだけでも勉強になる。
2.時間があれば15分で要約だけでもまとめる。
3.更に時間があれば、感想も書き、その感想に自作名言を盛り込むところまでやる。
というようなことでした。
時間がなくてやれないというより、長文を読んで考えるだけでも効果があります。
しかし、本当は、四行の詩の形にまとめておき、あとで時間があるときに、その詩をひとまとまりの文章に広げていくというのがいいのです。
もし、文章に広げることができなくても、四行詩としてまとめておけば、それがそのまま作品として残ります。
しかし、四行詩というのは、まだ制約として理解しにくいところがあるので、今後誰でもできるような形にしていきたいと思っています。
以下は、四行詩の作品例です。
■四行詩の世界
ひとまとまりの言いたいことがあるとき、
文章化するのに時間がかかると思うとつい億劫になるから、それを四行でまとめる。
言いたいことを圧縮してただ四行にまとめるだけだが、詩のリズムを持たせることが要だ。
形の上で言うと、比喩があるか、対比があるか、創造があるか、笑いがあるか。
季語は特に要らない(笑)。
■漢字教育
読みは能力であるが、書きは機械でも代替できるから、いずれ漢字書き取りの試験はなくなるだろう。
読みは、読み専門の精選された漢字集の音読で身につけ、あとは読書で応用を広げるべきで、多様な漢字問題集を使うべきではない。
また、読みは、学年配当という人為に従うのではなく、全常用漢字2000字を小学生の早い時期に身につけることだ。
そして、語彙の量が思考の材料の量であり、日本語は世界一の量を誇るから、あとは難読漢字集で勉強を続ける。
漢字ドリルがカラフルになり、漢字学習のアプリなどが使えるようになってから、みんなの漢字力が低下した。
■道徳教育
教育勅語がいいとか悪いとかいう議論は、物事の影を論じているにすぎない。
道徳教育の本質は、その道徳の中身ではなく、
その道徳を音読反復によって血肉化するという方法にある。
だから、道徳の内容など似たり寄ったりなので、リズミカルな道徳教材が最もいい教材になる。
教育勅語か(笑)。
あるいは、それに匹敵しうる詩心のある教材。
■英語教育
英語は、やっている子はできるが、やっていない子はできない。
その差があまりにはっきりしているので焦る人が多いが、
知識の差は、実はやれば誰でもできるもので、本当の差は頭のよさにある。
新渡戸稲造も内村鑑三も福沢諭吉も、大人になってから英語の勉強を始めた。
早めにやることより、頭をよくしておくことの方が大事。
■作文よりも構想図
作文の本質は、書くことではなく考えることだ。
書くことが音声入力化される時代になって、そのことがますますはっきりしてきた。
その考える方法が構想図で、
この構想図に必要なものが、ペンとノートである。(あるいは、筆と紙)
手書きには数千年の歴史があるが、キーボード入力には数十年、音声入力には数年の歴史しかない。
ついでに言うと、未来の入力は思考直接入力で、既に研究が進められているはずだ。