これまでの社会では、価値あるものは不足から生まれてくると考えられていました。それがゴールドや資源の価値です。
また、人間の生存に必須なものも、価値あるものとみなされてきました。それが例えば食料や安全の価値です。
しかし、これらは究極の価値ではありません。
むしろ、過渡的な価値と言えるものです。
知識も同じです。
世界を理解するための膨大な知識は、人間にとって習得することが困難でした。
この困難さという不足が、知識を価値あるものとしていたのです。
ところで、人間の知力は、底辺となる知識と高さとなる応用力の2つの変数で作られる三角形の面積と考えられます。
そして、この知識の部分は、高度なものになるにつれて、人間の能力よりもかけた時間に比例するものとなってきます。
ところが、今後、この知識の部分は人工知能に代替されるようになってきます。
すると、人間の知力の中心は、知識よりも応用力または創造力というものになってきます。
例えば、わかりやすい例で言うと、スマホ持ち込み可の漢字の試験があったとします。
もともとの漢字力の差はあるとしても、その差は試験にはほとんど表れません。
人間の知力は、知識よりも応用力が中心になってくるのです。
もちろん、人工知能も応用力を持つことができます。
しかし、その応用力の方向を決めるのは人工知能自身ではありません。
例えば、囲碁や将棋で人間に勝つ人工知能があったとしても、その目的は「勝つ」という与えられた目的です。
これに対して、人間が囲碁や将棋を行う目的は、「勝つ」という形で現れた「よりより人生を生きる」ことなのです。
この差は、人工知能が生きたものではなく、人間が生きたものであるという差から来る本質的な差です。
今後、人間に残された価値ある分野は、このよりよい人生に向けて応用し創造する力になってきます。
だから、教育の第一の目標も、この創造力を育てることになってくるのです。
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これからの世界、日本、教育 4
●創造性を育てる教育
これからの教育の要になるものは、創造性を育てる教育です。創造性を育てる教育とは、オリンピックで金メダルを取るような教育ではなく、あまり適切なたとえではないかもしれませんが、ノーベル賞を取るような教育です。つまり、一定の分野で他人よりも優れていることが大事なのではなく、ほかの人のしていないことや見つけていないことを、発明したり発見したりすることが、最も大事な人間の創造的な能力です。
この創造性を育てる教育をどのようにして行うかというと、それは第一に、幼児期からの親子の対話と自然との触れ合いによってです。
第二は、作文の発表会のような形を通して、創造することが社会の評価の中心となるような文化的風土を作っていくことです。
第三は、高校生の後半から大学生にかけて、抽象的な語彙を含む難解な古典の読書と思索を、青年期の必須な教養として育てていいくことです。
創造性が社会に貢献するものであるためにも、人間と人間との対話が必要です。ベーコンは、「読むことは人間を豊かにし、書くことは人間を正確にし、話し合うことは人間を役立つものにさせる」と言いました。
この読書と作文と対話のバランスの上に、創造性を育てることを教育のいちばんの目的として進めていく必要があるのです。
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人工知能にも創造力はあります。むしろ人間以上にあると言ってもよいでしょう。人間がまず考えつかないような組み合わせを膨大な知識データの組み合わせから作り出すことができるからです。
しかし、人工知能と人間の根本的な差異は、人間が希望を持って生きているのに対して、人工知能は生きていないということです。生きることを真似する人工知能はできますが、それはあくまでも真似です。
だから、人間に最後に残された分野は、単なる創造力ではなく、希望に基づいた創造力なのです。